以下の文章は作者のホームページの文章のダンプリン部分の抜粋http://www4.ocn.ne.jp/~kimerasy/mirai.htm
最終更新日は2003年2月21日
Damprin IX-81
Le Roy ruse entendra ses embusches,
De trois quartiers ennemis assaillir,
Un nombre estrange larmes de coqueluches,
ViendraDamprin de tracteur faillir.
強調文字の部分は本来(Lamprin)であるこれを先頭の文字だけ違えて見るとギリシャのデルポイと言う町の名前に行き着く、又、半神半人の神であるとも言われる。
詩篇のあちこちに現れるギリシャ神話の神々である。
外国の修道士の涙は反逆者として見捨てられる
将軍ランブリンが外国の修道士を見捨てるとは、実は拘束されて管理下におかれていた修道士の子孫で有ろうと思われる
これらの事からこの預言詩は十字軍の進撃中の事柄を述べている事になる、デルポイの町の名前の関係から戦艦からの上陸を待ち伏せする作戦を取る形となるだろう。
ランブリン自体は、女性に関係が深い海の文化を受け継ぐ民族である。親玉はこの時には他の戦場にいることであろう。
戦闘開始
① 十字軍の上陸を知り海辺の町に進軍するランブリンは町に着いた途端三方からの砲撃にさらされる。
② 外国の囚われの身の修道士たちの涙はこの時一緒の退却を要求されるがこれに従わない事だろう、つまり反逆者として見捨てられる「言葉を変えると開放される?」事になる。
③ 修道士の涙がポイントである。外国の宗教があった場所を不当に占拠する事で流され続けた修道士の涙は見捨てられる事で開放されるのである。
④ 十字軍の通過の局面の話であり、異教の解放者の表現で有るのでこうなるのであろうか。その後は解放者として市民権を確立し自由都市と表現される詩篇に存在するベニスにあたる商業都市を作り出す事になるだろう。
⑤ 将軍ランブリンは王さえも見捨てて退却を続ける事になる、なぜかと言うとここで持ちこたえてもらうと十字軍が聖戦のできる所まで移動できないからで有る。
元々ランブリン将軍はこの囚われの民を監視するためにこの地方に来ているので王も民も関係ない、親玉の所へそそくさと帰ってしまうことだろう。
元々下半身が人間では無いと表現されるらしいので人間の情けなどは通用しない、又その様な監視を行っていたろうから町の市民からの援助も得られまい。
中華の歴史の中でも同じ様な戦闘が行われている。諸葛孔明の東征の戦略として行われた、敵をわざと逃がす事で進軍の理由をつくり正当性を自軍に示した。
退却者は反乱する度に自国へ敵を導く事になる、下半身が人間では無いとはこの様な行動習性を表すのかも知れない。
ランブリン将軍は一回の退却で後の自国の滅亡を導く事になるだろう。
見てきた通りこれから起こるだろう事は、聖書や諸世紀に記されて来た事柄である。
契約の履行者である二人の預言者は1260日の期間にキリスト教会に大混乱を起こし内包する奴隷船を再興させる、この1260日は西暦2006年7月頃に始まるそれまでの期間(2003年~2006年)は聖地への異民族の流入の結果、光を輝かせる為にアメリカ軍は城壁を崩しに行かされる事になる。
つまり、イスラム圏の武装解除を徹底的に行う事になりそうである。
この事件は、「ねたみ深い人が矢で殺される」まで終わりそうもない。この事は新しいイスラムの指導者を世に送り出す。
「力は瞬間的に試みられる」とあるように、