最近FBページ「福岡の日本史」の方で流行りの古墳ネタをやっていて、新ネタを仕入れに東区高美台(旧上和白村宮前)の宮前古墳群に行ってきた。
上和白の氏神として鎮座する大神神社の境内と裏の緑地にあるこの古墳群は、6世紀後半~7世紀の遺跡で、副葬品として馬具や刀、鏃などが見つかっていることから、“中の人”は武人だったと考えられている。
また、周辺の団地からはさらに8基の古墳や登り窯、古代製鉄所趾が見つかるなど、一帯に軍隊が駐留していたような形跡があるらしい。
ちなみに境内の略記によると、大神神社の縁起は神功皇后の三韓出兵に際し、大和の将兵がこの地に駐屯したときに大和一の宮・大神(おおみわ)神社の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を勧請したものなのだとか。
つまり、神功皇后なのかどうかは一旦おいとくとしても、考古学的にも伝承的にも、このあたりは倭国(やまと)軍が駐屯していたと考えられるのだ。
たまたまネットで見つけた和白校区自治協議会の資料にも、上和白村の歴史として、磐井の乱以降の、対新羅戦用の渡海軍駐屯の可能性に言及していたし。
大神神社の拝殿(なんか違和感があると思ったら、瓦葺だ)。 ちなみに奈良の本社には本殿がなく、拝殿の奥の三ツ鳥居を通して御神体である三輪山を遥拝するという形になっているらしい。 さらにこの三輪山、本社の公式サイトには、奈良盆地をめぐる青垣山の中でもひときわ形の整った円錐形の山ですとある。 |
拝殿左手にある1号墳は、盛り土がなくなって石室だけが露出している状態。その正面はイチョウの木?が1本、ステンレス製の玉垣で囲ってあって、「大神神社神殿跡」という石碑が立っている(TOPの写真)。ここに神殿があったのか、それとも1号墳を神殿としていたのか? |
1号墳の奥にある遥拝所。2号墳はこのあたりにあって、埋め戻されたらしい。この「遥拝所」の奥の丘陵には3号墳があるので、もしかしたら、「遥拝」するのは3号墳なのかも? | |
“ひときわ形の整った円錐形”をした現状の3号墳。ふつう円墳は階段状だけど、復元の際に円錐形に成形しただけなのかもしれないし、もしかしたら3号墳築造のときに本社の御神体・三輪山を象ったのかもしれない(説明板には「とくに築造当時に近い姿をとどめています」と書いてある)。 |
神社が先か、古墳が先かって話になるかもしれないけど、機会があったら神職の方にお話を伺ってみよう。
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