出雲大社(いずもおおやしろ)創建:神代?
もうすっかり時間が経っちゃったけど、島根まで行ったからには出雲大社にお参りしない訳にはいきません。
ましてや今年は60年に一度の大遷宮の年。
遷宮ってのは社殿の修理や改築でご神体を移すこと。
要は社殿の一大リニューアルと考えてよろしかろう。
今年5月に本殿のリニューアルを終えたばかりの出雲大社には観光客がわんさか訪れていて、松江の方にも人が溢れていた。
ちなみに今年は伊勢神宮の20年に一度の遷宮も重なってるんだけど、その辺の事情は歴史ナビゲーター・井上さんのブログ『私は日本人を信じたい!』をご参照くだされ。
さてさて、出雲大社。
とにかくスケールがでかいし、何より他にはない圧倒的な威厳を放っている。
とはいえ、ピンと張りつめたような感じじゃなく、包み込むようなおおらかさというか、そんな雰囲気を醸している。
創建は「神代」というくらいで、文字ができる前の話なので、創建期の文献などあるわけがなく、とにかく謎が多い。
そんななかで、職員(神官ではなく)と思しきホワイトカラーの方に伺った話など。
正式な呼び名は「おおやしろ」。
しかし、一般に「たいしゃ」で通っているのでそれでも構いませんとのこと。
参拝の回り方もこうでなければいけないという決まりはなく、お参りする方のお心にお任せしてますとのこと。
伊勢神宮には行ったことないけど、同行の編集担当者によると、こことは違って撮影の仕方などかなり厳格だったらしい。
二拝四拍手一拝の作法も由来は不明。
しかし、昔は神社によって作法はまちまちだったそうで、一般に二拝二拍手一拝に統一(?)されたのは、戦後になってから。
GHQによって神道が危機的な状況になったときに神道を守るために設立されたという神社本庁によるものだそうな。
また、神様を「祀る(祭る)」ではなく、「お鎮まりいただく」という表現を使っておられけど、どちらでも問題ないということだった。
駐車場で降りると向こうに大きな日の丸が見える。そっちに行くと神楽殿。高さ47mのポールに75畳分の巨大な日の丸が翻り、神楽殿には長さ13mの注連縄があって、締め始めが通常と逆の左になっている。 ちなみに宮地嶽神社の大注連縄は長さ13.5mで日本一を謳っています。 |
巨大日の丸につられていきなり神楽殿にいってしまったけど、基本的に参拝は二の鳥居のある勢溜(せいだまり)から(「お参りする方のお心にお任せしてます」とのことだったけど、一応ね)。 根性のある方はここから550m南にある一の鳥居から始めてくだされ。 勢溜からは参道は下り坂になっていて、下り参道と呼ばれている。 | |
下り参道の途中にある祓社。すでに渋滞してます。 |
手水舎の向かいで幸魂奇魂を授かる若き日の大国主大神。 |
こちらは鬼太郎のオヤジの目玉@水木しげるロード(鳥取県境港市)。全然関係ないけど。 |
拝殿は昭和28年に焼亡し、昭和34年に復興されたものだとか。左右非対称の大社造と呼ばれる建築様式。拝殿は本殿から完全に独立している。本殿の修復中はご神体がここに遷座され、御仮殿となっていた。 |
拝殿が御仮殿となっている間、拝殿として使われていた仮拝殿。ちょっと紛らわしい…。 |
拝殿の奥にある本殿エリア。瑞垣(みずがき)で囲まれていて、正面の八足門の前でまたお参りする。この中にさらに玉垣があり、楼門の奥に本殿がある。5月の本殿遷座で遷宮は完了したと思っていたけど、実は終わったのは玉垣の内側だけ。遷宮事業は平成28年まで続き、これから玉垣の外側の末社などの修復が始まるとのこと(各末社の神様の遷座が繰り返される訳だ)。 |
八足門前の地面には三ツ葉のようなマークが3つある。長崎の諏訪神社にある陰陽石(合体石)のようなものかと思ったら、これがなんとかつての神殿の巨大な柱の跡を示しているものだとか。高さ48mと言われる巨大神殿は実在しないという説さえあったほどだが、平成12(2000)年に地中から神殿を支えた巨大な柱が3カ所で発掘されて、ついに実在が証明されたのだ。 |
古代出雲歴史博物館に展示されている、発掘された宇豆柱。直径およそ1mのスギの柱を3本組み合わせた直径3mにもなる大きな柱で、他の柱はそのまま埋め戻されたらしい。 | |
こちらは発掘状況の模型。赤丸の部分が宇豆柱。 | |
平安時代の本殿の1/10模型。48m(16丈)という高さは神楽殿前の巨大日の丸のポール47mプラス1mでイメージしてもらえるだろうか。 |
本殿は南向きだが、中のご神体は西を向いているので、神座正面からもお参りする。本殿の手前にあるのは御向社(みむかいのやしろ)といって、大国主大神の正妻で素戔嗚尊(スサノオ)の娘である須勢理比売命(スセリビメ)を祀っている。 |
本殿の裏(瑞垣の外)にあるのは大国主大神の父?または祖先である素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀る素鵞社(そがのやしろ)。 |
本殿右手より。初めてなので比べようがないけど、葺き替えられた檜皮葺きの大屋根や130年ぶりにちゃん塗り(金属を保護する塗料)を施された金属部分(千木・勝男木・破風板など)は以前よりずいぶんきれいになったはず。本殿の手前にあるのは大国主大神の何番目かの奥さんで宗像三女神の一人・多紀理比売命(タキリビメ)が鎮座する筑紫社(つくしのやしろ。何とも九州との関連の強そうな社だこと)と、大国主が亡くなったときに復活を手伝った蚶貝比売命(キサガイヒメ)・蛤貝比売命(ウムギヒメ)を祀る天前社(あまさきのやしろ)。 |
先述の古代出雲歴史博物館は出雲大社の東側にあって、出雲大社関連の資料だけでなく、荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡など古代出雲族(?)の遺跡から出土した大量の量産型青銅器(うち銅剣358本、銅鉾16本、銅鐸41個は国宝指定)が展示してある。
おまけに常設展示はストロボ不使用なら撮影OKという寛大な博物館だけど、大量の国宝に向けてシャッターを切るなど、私には畏れ多くてできなかったのだった(デジカメのバッテリー切れでシャッターを切ろうにもカメラが動かなかったのだった…)。
古代出雲歴史博物館の入館料は常設展一般600円(企画展は別途) |
ところで、勢溜から南に延びる表参道。
不思議なことにあまり歴史を感じさせない通りなのだが、実は、1990(平成2)年にJR大社線が廃止となり、大社の大駐車場が境内のすぐそばにできて以来、すっかり寂れてしまっていたらしい。
しかし、地元の人たちが知恵を出して、出雲をぜんざい発祥の地(神在餅がなまって「ぜんざい」になったのだとか)としてアピールし、B級グルメブームにものっかって、縁結びグッズと合わせて見事再生を遂げたのだとか。
出雲大社
島根県出雲市大社町杵築東195
島根県立出雲古代歴史博物館
島根県出雲市大社町杵築東99-4
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