松江城 1611年築城(江戸時代初期)
祝 国宝指定!(2015年5月)
我等が福岡城も、あったかなかったかも分からない天守閣を復元しようなんて声があるように、未だに根強い「お城=天守閣」指向。
中には元の形が分からないのに(それこそ存在すら確認されないのに)観光目的でっち上げられた鉄筋コンクリート製の模擬天守なんてのもあって、ヘタに「天守閣なう」とかツイートしたら「それニセモノやろ」なんて突っ込まれることもあるのでご用心。
しかし、先日仕事で行った島根・松江城の天守閣は、彦根城、姫路城などと同じく日本に12しかない現存天守のひとつ。
つまり、江戸時代に実際に使われていた天守なのだ。
そもそも城ってのは大野城や怡土城みたいな古代の山城をはじめ、いろんなものがあるんだけど、天守付きの城が造られたのは、だいたい信長・秀吉の時代から関ヶ原後に大名が各地に封じられたころまで。
その後の一国一城令によって藩主の居城以外のいわゆる支城はすべて打ち壊され、本城も明治の廃城令でごっそりなくなって、残りわずかになった現存天守も米軍の非戦闘員への無差別爆撃で7城が焼失したそうな。
そういう訳で松江城(別名千鳥城)。
造ったのは秀吉恩顧の大名で、関ヶ原では東軍に与した堀尾吉晴。
関ヶ原の時にはすでに隠居してたんだけど、家督を譲った息子が松江入りして間もなくで死んでしまったので、隠居の吉晴が幼少の孫を後見して松江城を建設。
しかし、城の完成直前に吉晴は亡くなり、さらには孫に跡継ぎがなかったため、堀尾氏は三代で改易の憂き目に。
これ、天守台の石垣を造る際に人柱にされた娘の祟りだという話です…。
五層六階(天守台の中に地階あり)の堂々たる天守。正面玄関みたいなところは天守の一部ではなく附櫓(つけやぐら)という櫓なのだとか。 |
地階にある井戸。篭城の備えもバッチリ! |
てっぺん(五階)から南側の眺め。向こうに広がるのは宍道湖。 |
この松江城を囲むお堀では堀川めぐりという遊覧船をやってるんだけど、実はけっこう歴史が浅く、平成9年に始まったものだとか。
とはいえ、柳川の川下りも昭和30年頃に始まったもので、昔からあったというほどではないけどね(水上交通としてのどんこ舟は、明治になってからはあったと思うけど)。
堀川めぐりの舟は発動機付き、電動折り畳み屋根付き。低い橋をくぐるときは屋根を下げる。 |
あと、松江で有名なのが宍道湖の夕日。
宍道湖の東岸には夕日の見物スポットがあって、平日だというのに観光客やアマチュアカメラマンでごった返してました。
松江城
島根県松江市殿町1-5
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