宇佐神宮
725年創建(奈良時代前期)
もう先週の話だけど、仕事で宇佐の田植えを見に行ったついでに宇佐神宮に行ってきた。
宇佐神宮といえば、全国の八幡宮の総元締め。
お馴染み神功皇后のご子息・応神天皇が571年(古墳時代)に神霊として現れて、「我名をば護国霊験威力神通大自在王菩薩と日う」と宣ったとか。
菩薩というと仏教じゃないのって気もするけど、その辺は神道・仏教入り混じっていて私にはよく分かりません。
八幡神は早くから神仏習合が進んでいたというから、そういうことなんでしょう(どういうことや?)。
そんなこんなで725年、八幡大神(応神天皇)を祀るお宮が造られ、729年には宇佐地方にゆかりのある比売大神(ひめおおかみ)が第二殿に祀られ、824年(平安時代前期)には第三殿に神功皇后が祀られた。
ちなみに、比売大神とは特定の神の名前ではなく、神社の祭神の妻や娘など関係の深い女神を指すものだそうで、宇佐神宮では多岐都比売命(たぎつひめのみこと)・市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)・多紀理毘売命(たきりびめのみこと)の宗像三女神のことだとか。
卑弥呼のことだという説もあって、1980年代のミニ独立国ブームの先駆けとなった宇佐市「新邪馬台国」の根拠にもなったそうな。
ところで、この天皇家からの信仰も篤い宇佐神宮のご神託をめぐって、平安時代に天皇家の万世一系を揺るがす事件が勃発している。
769年、女帝・称徳天皇(孝謙天皇→上皇が再度即位)の寵愛を受け法王となった僧・道教は「道鏡ば皇位につけたら国家は安泰やろ」という宇佐八幡大神の神託があったとして皇位を狙う。
調査のために宇佐神宮を訪れた勅使・和気清麻呂(わけのきよまろ)は「天皇を継ぐのは天皇家じゃなからんといかんやろもん。たわけたことを言うヤツはとっとと追っ払い」との神託を受けて都に戻るが、怒った道教は和気清麻呂を別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)という下品な名前に改名させて大隅国へ流してしまう。
しかし、翌年、称徳天皇が病に倒れると天皇は道教を病床に近づけないようになり、称徳天皇が崩御すると天智天皇の孫である光仁天皇が即位。
道教は下野国(栃木県)に流され、キタナマロはめでたく復職。
名前も元のキヨマロに戻したことと思われる。
これが世に言う「宇佐八幡宮神託事件」。
事の真偽は諸説あるようだけど、清麻呂は末社の護皇神社に祀られ、後には小惑星の名前にもなっています。
そういう訳で宇佐神宮、そのでかさはさすがUSA(宇佐のことね)。
境内が広い上に、本殿は丘の上にあるので、ち●ばさんの私はお参りに行って戻ってくるだけでヘロヘロになってしまいました。
表参道(仲見世)。左手は大駐車場で、右手に「宇佐あめ」なんかを売るみやげもの屋がずらりと並んでいる。鳥居は全部朱色です。 |
朱塗りの神橋を渡ってしばらく行くと、いかめしい狛犬が…。 |
またまたでっかい大鳥居。 |
ピラミッド型の石灯籠。 |
左が上宮への登り口、右が下宮からの出口。上宮は貴人が参拝するところで、下宮は庶民がお参りするところだったそう。さらに右手に祓所がある。 |
祓所。お祭りなんかの際にお祓いをするところらしい。見えづらいと思うけど、奥には小さな滝がある。 |
上宮への入口・西大門。“大門”というほどの大きさではないような…。 |
赤い柱の社殿は、福岡人的に見ると香椎宮っぽい。どちらも勅使が遣わされる「勅祭社」だからか? |
社殿はいわゆる拝殿というものがなく、中央の立派な南楼門から左右に回廊が延びていて、この前でお参りする。 左から順に第一殿、第二殿…となっているので、外から見ると第二殿(比売大神)がいちばん立派。 楼門の奥には申殿(「もうしどの」とか「もうしでん」とか言うらしい。これが拝殿みたいなものか?)があって、 その奥に八幡造り(切妻を横にくっつけたような造り)の本殿(国宝)があるんだけど、 本殿は何と大改装中で建築用のシートで覆われていて、拝むこと能わず(涙)。 |
上宮の南端、断崖の上にある大元神社遥拝所。 正面左手にある御許山(おもとさん/逆光で写ってません)山頂は比売大神が地上に降り立った場所とされ、 宇佐神宮発祥の地として大元神社(社はなく、三つの巨石と鳥居があるだけらしい)が鎮座し、ここからお参りする。 |
ここでのお参りは二礼四拍手一礼です。 |
こちらは庶民用の下宮。祭神は上宮と同じだけど、両方お参りしないと「片参り」になっていかんらしい。ということは貴人も庶民も関係ねえってこと? とにかくお参りするところが多いので、ここらあたりで小銭切れになる人が続出! |
境内には神仏習合の象徴ともいえる弥勒寺が738年に建立されたが、明治の神仏分離によって廃寺となり、今は礎石を残すのみ。 |
このほか、日本三大池(初めて聞いた)の一つと呼ばれる初澤池の脇には宝物館があって、国宝の孔雀文磬(くじゃくもんけい/孔雀の模様がついた銅板の楽器)などの社宝が展示されてました(入館300円)。
屋根のついた勅使用の橋「呉橋」や前述の護皇神社など、まだまだ見どころはありそうだったけど、疲れ果ててそこまで頭が回らず。
ほうほうの態でたどりついた仲見世の土産物屋の食堂でランチ。
中津が近いので唐揚げ定食にしようと思ってたけど、「人気ナンバーワン」と書いてあったとり天定食を食いましたとさ(例によって料理写真は撮ってません)。
宇佐神宮
宇佐市大字南宇佐2859
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