光正寺古墳(国指定史跡)
3世紀中~後期(古墳時代前期)
七夕池古墳(国指定史跡)
4世紀末頃(古墳時代中期)
福岡には魏志ワンニャン伝もとい魏志倭人伝(魏書東夷伝倭人条)に記された倭の30国のうち、イヌ国もとい伊都国、ニャ国もとい奴国、そしてフミャ国もとい不弥国(ふみこく)の3つのクニがあったとされています。
伊都国は糸島、奴国は博多区の南から春日あたりというのは有名ですが、奴国の東にあったという不弥国については宇美だの嘉穂だの津屋崎だのと諸説あって、どうもまだ比定するまでには至ってにゃい。
魏志倭人伝の行程をたどって邪魔大国もとい邪馬台国を探している人には、見解の分かれるポイントらしいです。
そんな中で、「フミ」と読みが似てるだけじゃにゃーかと言われる宇美説の有力な手がかりとされているのがこの光正寺古墳。
3世紀中~後期(だいたい魏志倭人伝に描かれている時代)の前方後円墳で、県内の古墳としては最古の部類。
糟屋方面を治める豪族(あるいは王?)の墓と考えられるそうな。
注)古墳としては古いけど、王墓としてはもっと古いものがいろいろあります。
前方部から見た光正寺古墳。全長54m、前方部2段、後円部3段の整った形をしているけど、これはもちろん復元されたもの。芝が青い季節ならもっと美しいものと思われる。 |
5つの主体部(棺のあるところ)が見つかった後円部で草スキーに興じる子どもたち。一帯は光正寺古墳公園として整備されている。 |
古墳のある丘陵の下(旧国鉄勝田線跡地のところ)には、光正寺古墳の1/5模型が。こちらは古墳本来の姿として、葺き石が敷かれた状態を再現している。 |
光正寺古墳の北側、町境を越えて志免町に入ったところには、七夕池古墳という4世紀末頃(現地の説明書きでは5世紀前半)に造られた直径29mの円墳があります。
なにせ円墳なんで、単なる小山みたいでとても地味ですが、墓の主は40~50代の女性で、副葬品も豪華なものが出てるそうなので、王女みたいな人だったのかもしれません。
元は3段で、まわりには幅3.5mの周溝があったらしい。 |
すぐ南側には光正寺古墳が見える。 |
光正寺古墳
糟屋郡宇美町光正寺2-4537-11
七夕池古墳
糟屋郡志免町田富3-18
大きな地図で 見る
関連スポット
●宇美町立歴史民俗資料館
●志免町歴史資料室
追記
宇美は不弥国説が出るだけあって、光正寺、七夕池以外にも小規模な古墳、遺跡がかなりあります。
その一つ、神領古墳群は、宇美八幡宮の奥宮のある宇美公園に点在する古墳群(「神領」という名前も宇美八幡宮の社領ということなんでしょう)。
奥宮は御胞衣ヶ浦とも呼ばれてるらしいから、もしかしたら古墳を神話と結びつけたのかもしれません。
1号墳と思われる小山。神領古墳群全体の説明板はあるが、どれが古墳という案内は一切ない。地元の人でも知らない人が多いんじゃなかろうか。 | |
反対側から見たところ。1号墳は直径16mの円墳で、5世紀中頃に造られたらしい。主体部未調査。まあ、こちら側から見れば円墳と見えないこともないか。 | |
1号墳の斜面のあちこちに石が並んでるけど、これってひょっとして葺き石かなあ? |
こちらは2号墳ではないかと思われる盛り上がり。説明には直径27mとあるから違うのかも? 5世紀初頭に造られたもので、主体部には複数の棺があり、中には1つの棺に3人同時に埋葬されているのもあったらしい。 | |
こちらは宇美八幡宮奥宮のある丘陵。この奥にも円墳があったらしいが、この丘そのものが円墳ではないかという気もする。 |
--CONTENTSへ--