連休の入り口、4月29日~5月1日、唐津、伊万里、有田の駆け足旅に出かけました。
せっかくの遠出なので、本当はもう少しゆっくりしたかったのですが、急な決行で宿も取れず、旅の相方も3泊しか出来ないと申しまして・・・・・・。
唐津焼をはじめ、焼き物には興味があったのだけど、九州の土地自身にはあまり興味がなくて・・・・・しかし、いざ決行となると九州は歴史の宝庫であることが分かり見直した次第です。(この歳で恥ずかしい限りです)
そして、京都からは遠い場所と思っていたけれど、快適な新幹線があっ~~という間にかの地まで運んでくれるのです。
自宅最寄の駅、6:21分、博多到着9:41分。
博多からJR筑後線で唐津まで約1時間。お昼前には唐津に到着していましたわ。
先立つものさえあれば、遠くの恋人にもすぐ会える・・・・年甲斐もなく考えてしまいました。
唐津駅到着11:32分。
相方は陶芸よりは歴史の方なので、秀吉が朝鮮出兵の為(1512年~1598年の文禄、慶長の役)に築いたという、名護屋城蹟跡に向かいます。
名護屋城蹟方面のバスは少なく、大手町発11:50分のバスに乗りたく、もう駆け足状態でバス停に急ぎます。
お昼過ぎ名護屋城蹟到着。
まずは簡単ランチをとり、城跡近くにある博物館に行きます。
そこでは、秀吉の好みのペルシャだったかな、派手な色合いの陣羽織、朝鮮に向かう時の舟の模型、屋形はお城の形・・・・・等々が展示。
いざ、城跡行きです。
広大な敷地が広がります。
この城は大阪城ほどの大きさがあったと言われ、この巨大な石垣は九州の大名が中心になり作ったといわれる。
この城を取り巻き、徳川家康、前田利家、伊達正宗、黒田長政、毛利秀頼、鍋島直茂・・・等々の名立たる武将の陣屋を含め、23個の陣屋があったとの事。
海を一望に眺めるこの城跡に立ち、栄華を極めた昔に思いをはせます。
この戦争は別名”やきもの戦争”・・・と言われる様に、多くの朝鮮人の陶工が日本に連れてこられます。
唐津に始まり、有田、武雄、そして、毛利家はこの陶工を連れ、萩に帰り”萩焼”を始めさせます。
薩摩焼の薩摩藩、島津義弘もその一人です。
彼は利休の門下の茶人でもあり、茶陶を領内で焼く事を強く望んでいたという。
明日はいよいよ、唐津焼きが初めて焼かれた”岸岳”迄行きます。
最初の場所に着地するのは、なんだかワクワクです。
天気予報は幸いにもはずれ、夜の内に雷雨で、翌日はまぁまぁの天気。
短い旅程ですが、"岸岳"の前に、とりあえず唐津城と炭鉱王の屋敷、旧高取邸、そして大急ぎで唐津人間国宝の「中里太郎衛門宅」に行く事にする。
唐津城は海に面している眺望の良い素敵なお城です。
この城の門は城主、寺沢広高が名護屋城の門を移築したと言われ、城内は古唐津焼き、昔の漁業の道具等が展示してある。
旧高取邸をガイドさんの案内で見学、ランチをテラス席のある町のカフェでとり、3時58分の北波多行きのバスに乗る前にと、太郎エ門さんの
陶房に急ぐ。
山のふもとにある静かな陶房で、工房はダメだけど、窯だけならOKで見せてもらう。
工房の近くには、商品の販売もあった。
ゆっくり時間をかけてみたいものだけど、バスの時間が気になり、早々にお暇する。
少しの滞在だったけど、唐津の町は静かで住みやすい町の様に思う。
陶房も他にもあるし、美術館もあるし、もう少しゆっくりしたい町。
後ろ髪をひかれる思いで、バスにのり、”岸岳”に向かう。
バスは30分あまりで、”岸岳古窯跡”のある、北波多に到着。
この岸岳は、波多氏が朝鮮の陶工を保護し、最初に茶碗を焼かせたところ。
碗、皿、小杯、甕、瓶 等が焼かれてたと言う。
本によると、利休も唐津の筒茶碗「子のこ餅」を所持していたというから、やはり400年前位の釜跡になる。
波多氏は文禄、慶長の役で秀吉により改易され、その為、保護していた陶工達は、伊万里、有田、武雄に流れて行ったと言われる。
私の性格上、そんな歴史のある釜跡なら、是が非でも訪れてみたくなる。
タクシ-の運転手さんにお願いして、釜跡迄行く。
山の方に暫く走ると、舗装された道路の傍の山にその場所がみえてくる。
全長18・4メ-トル唐津最古の釜跡(飯胴甕下窯跡・・・はんどうかめのしたようせき)
朝鮮の陶工集団が、日本に焼き物の文化を広めた最初の土地だと思うと、感慨深い。
待たしたタクシ-に再び乗り、北波多のバス停に向かう。
バス停の前は、岸岳ふるさと館があり、唐津の現代作家の品がさりげなく販売してある。
値段は高いものから安いものまで。
気にかかった茶碗があったのだけど、作家さんの顔もみえないし、一万円札が何枚か必要で買えなかった~~~。
記念に可愛い掛け花入れを購入。
4時22分のバスで今夜の宿、伊万里に向かう。
バスは約30分で伊万里に到着。乗客は私と相方二人のみ。
伊万里はすぐ海が見えると思っていたけど、海はすこし遠そうで期待はずれ。
伊万里には、鍋島藩が保護した大河内山があるのだけど、相方の体調も気遣い、行く事を残念!
1泊出来たならと返す返すも悔やむ。
そんな気持ちを美味しいフレンチでカバ-し、翌日の有田行きに備える事にする。
伊万里から有田迄はJRではなく、松浦鉄道で行く。
Ⅰ車両の可愛い電車です。
本当はもう少し早い電車に乗り、早く有田に着きたかったのですが、これも相方と一緒の旅、しぶしぶ9時28分の電車にする。
旅行の前、有田の観光案内の人は、「5月連休は陶器市があるので、人は多いですよ」・・・と言われていたので、どんなすごい人出かと思っていたけど、
びっくりするほどではない。
もしかしたら、連休のはじめのせいかもしれない。
まずは有田駅前の近くから出ているシャトルバスに乗り、350年前に李三平が磁器を発見した”泉山”に行く。
泉山石切り場(今も掘り続けられているとか)」
(白いのが磁器の原料です)
陶磁器の原料がある、泉山(いずみやま)を発見した李三平も焼き物戦争で連れてこられた朝鮮陶工。
伊万里の近くにある、大川内山で焼かせた鍋島藩はこの原料を使い、多くの陶磁器を焼かせたという。
鍋島藩は、人の出入りも出来にくい場所で、又、陶磁器の作り方を他に漏らさない為、工程は分業でさせ、完成した陶磁器は
伊万里から出島に運ばれ、のち海外にも輸出し、利益を独占していたと言われる。
泉山を過ぎ、樹齢400年の大銀杏を仰ぎ、
トンハイ塀のある有田の町の裏通り、を通り
李三平の祀ってある、陶山神社に行く。
5月1日はまさに夏日。暑いこと~~。
暫しここで休憩する。
お腹も減り、再び表通りに出て、食事処を探す。
大通りには、李三平の子孫が経営する陶器店がありました。
白を基調とした作品が多いです。
有田名物とかいう、カレ-を食べ、今右衛門美術館に立ち寄る。
この頃はお腹は膨れたけど、疲れがまし、炎天下で歩くのは大変~~。
暑くて陶器も見たくなく、ひたすら有田駅に向かう。
陶器市のある上有田から、有田迄は歩いて約3.5キロくらい。
やっとの事で、有田駅近くにある、シャトルバスの乗り場に到着。
午後の予定は、かの有名な柿右衛門陶房にお邪魔する予定。
確か3時にシャトルバスに乗り、20分くらいで柿右衛門釜に到着。
作品を拝見し、写真の建物の中でお茶と最中のおもてなしを受ける。
16代になるべく4歳の拓丸君が最中を運んでくれる。
TVで15代がお話されていたけど、柿右衛門釜も分業です。
いくら分業でも代を襲名し、柿右衛門を背負っていくのは大変なご苦労があるのでしょうね。
(玄関にさりげなく置かれていた柿右衛門の花入れ)
(トイレの取っ手、ドアのサインも柿右衛門)
暫しの滞在で、3時45分のシャトルバスで有田の駅に向かう。
今夜の宿は武雄温泉。
有田の駅は陶器市の客で一杯。
ホ-ムには、今回寄せてもらえなかった、源右衛門さんの作品があった。
武雄温泉に夕方到着。
疲れた体を露天風呂が癒してくれる。
訪れる前は知らなかったけれど、ここ武雄も唐津焼きの土が採れ、陶房が50近くあるという。
文禄、慶長の役の頃、古田織部が唐津に来ていたというので、唐津焼きと織部が合体したような茶碗もあるという。
宿の近くには鍋島藩の別荘があり散策する。
宿の近くで展示販売していた茶碗。織部の雰囲気もありです。
今回は本当に駆け足の旅。
佐賀は歴史の深い、魅力の一杯あるところ。
チャンスを作り、次はゆっくり訪れてみたいです。
私も一度佐賀県に行ってみたいです。
私も一度佐賀県に行ってみたいです。