東邦ビジコン 「ZEN(ゼン)日記」

経営コンサルティング会社「東邦ビジコン」のZENが、マーケティング視点や日常をゆる~い感じでアップしていきます^^

ZEN的1年前のいろいろ

2012-03-13 21:43:37 | ZEN私的関連
ご無沙汰しております(`・ω・´)ゞビシッ!!

PCのタイピングで「ムービング」って打ったはずが「ムーブ便具」になっていて

どんなアクティブな便具なんだろ…っと思ったZENです(笑´∀`)



あの震災から早くも1年が経過しましたが、

「光陰矢のごとし」とは正にこういった感覚のことを言うのでしょうね。

一年前の今頃から怒涛のようにあらゆる物事が一挙に起きてきた感じがします。

それでは、ちょっとZEN的視点の写真と共にプレイバック d(-ω´・o)



津波はこの高さを余裕で越えて住宅を飲み込んでますからね。
やっぱり10M位はあった模様です ガクガク((( ;゜Д゜)))ブルブル



何度目を疑ったことか分かりません。漁船が普通に転がっていましたから…。
呆然とする間もなく地元消防団員として朝から晩までとにかく作業。
もちろんまともな食事や休憩、風呂やシャワーなどあるはずもなく(;´・ω・)

このときに地域コミュニティの大切さが分かりましたね。
でも震災で気付かされるとは皮肉なものです。



原発爆発後、ZENたち消防団に地域住民へ
バスで一斉避難案内の手書きメモが渡された現物です。(紛失防止に撮影)
このときの空気感は本当に異常でしたね。これは言葉では言い表せません。

地元の人間なら分かるのですが、
当初避難といってもそんなに距離が離れる避難指示ではありませんでした。
如何に事態の深刻さが認識できていなかったか(政府や行政など全て)
一般市民も情報不足だったか明白です。(これで納得してるのですから)

次第に状況が悪化して三号機も爆発となってからは、
6号国道が避難民で大渋滞し始めると共にいわき市全体がゴーストタウン化。
このときは本当に寂しさで一杯でした。虚無感とはこの心理状態かと。



…でお袋達と嫁に行った妹のところに避難するが手狭なこともあり、
自分は別行動で熊谷に避難を開始しました。
そこでは、叔父・叔母が温かく迎えてくれた(=^▽^=)
このときの感謝は忘れません。気を使いまくってくれましたから。
この辺から後ろ向きなことだけを考えるのは止めましたね。

この時、「人生気楽に生きる」と
いい意味で楽観的な心の持ちようが必要なんだなと。自分の性格的にも^^



叔父・叔母の長男(ZENの従兄弟で弟分)の新居にも行くと
いつの間にか甥っ子がZEN化していた(o´∀`)
駐車場を指差してアレとこれ一緒!と認識していたから大したもんだ^^
暇を持て余していたので
親に内緒でクルマの英才教育を実施しておきました( ´艸`)



業務再開のためいわき市へ帰省。
しかし、この頃は街の機能がまだまだ回復していなかったですね。
夜は本当に真っ暗でこのころに陥没にハマってクルマ損傷・゜・(ノД`)・゜・。



ガソリン5,6時間待ちは本当にしんどかったですねぇ(;^ω^)
それと、断水のためトイレが本当に本当に本当にしんどかったです、はい。


もう二度とこんな震災が起きませんように(人'д`o)

最新の画像もっと見る