天地暗察  もうひとつの宇宙の観察の記録

「心の闇」といえばネガティブな響きですが
その闇を「内なる宇宙」と捉え観察してきました。いま、パラダイムシフトの時

「恵」 漢字は、五次元からのメッセージ

2017年09月14日 | 節約聖書
恵について

ある日 某メーカーの「恵」という商品を
食べようとテーブルに出していた
なにかしら 「恵」というロゴが迫ってくるような感覚 
田んぼの田の上に十字架が立体的にのってるように見えてきた。

「田」は、「エデンの園」を現すと以前 読んだことがある。
チグリス川とユーフラテス川が交差しているイメージ
「十字架」は、「キリストの救い」にほかならない。
 
          

「十字架・キリストの救い」=「十」と        
「エデンの園」     = 「田」を
              「心」に描く
  
 私たちは、「失楽園でエデンの園を追い出された」と考えるのなら
 救いは、二千年前に知らされていることになる
 
「神は、そのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。
 それは、御子を信じる者がひとりも滅びないで永遠の命を得るためである」
                     ヨハネ3章16節

「キリストの救いを受け入れる」
それだけで 「恵」を享受することができる
そういうメッセージのように解釈なのです。
「Amazing Grace」驚くべき御恵
シンプルすぎて 見過ごされてしまったのか
人類は、かなり 「損」している。
立体的な模型を作ってみた
いろんな角度から見れば違うものに見える
「宗教」の違いっていうのは、
ただ「どこから見ているか」の違い…
誰もが理解できれば この世に争いは、なくなる
「天国」というのは、
万人が「神様 天 の恵の中で暮らせる場所」
『We are the children 』
人類は、「放蕩息子」であるが神様は、
待って、待って待ちくたびれてあるだろう
「恵」を相続するか? しないか?
そろそろ はっきり決める時でしょう。

神様の言葉

2013年10月01日 | 節約聖書
私は、以前から宗教は、英会話に似ているなーと思っていました。

英会話を学ぶ多くの人は、英語圏の人とコミュニケーションを図ることを目的としていると思います。

では、宗教を信仰する目的は、何でしょう?そんな質問をされたこともないし・・人に聞いたこともありませんが
おそらく、多くの人は、現世と来世の幸福のためを目的としているのではないでしょうか?
「あなたも○○教を信仰して幸せになって」そんな思いから 布教に熱心な人々は、未信者を勧誘するのです。

「私の幸福を願ってくれている」からこそ誘ってくれるのは、痛いほどわかります。
実際、私も某宗教の集会に友達を誘ったこともあります。
しかし、宗教に興味がない人を誘うには、かなりの勇気とエネルギーがいることに気付いたのです。

私は、祖母、母が信仰する某新興宗教が日常にある家庭で育ってきました。
その宗教は、仏教系でもありキリスト教系でもあり・・中高生の頃は、合宿に何度もいきました。
近所にプロテスタント系の教会があったこともあり、一般の人より宗教については、語れるつもりです。

「宗教とは、何ぞや」と疑問を持ち始めたころいくつもの宗教団体の集会を巡ったこともありました。

英会話を英会話学校に行って学ぶのは、英語をしゃべる目的のための手段です。
英会話を習得すれば英会話学校に通う必要はなくなります。

同じように誰もが「神様の言葉」を理解できるようになったとき宗教は、その存在理由がなくなる。
私は、そう思うのです。

本当は、簡単なことかもしれません。私たちは、迷いを信じていただけなのです。

「門前の小僧習わぬ経を読む」ということわざがあります。

私は、門前の小僧に過ぎませんがこれから「神様の言葉」をわかりやすく伝えていきたいと思います。

もっと、身近な言葉で聖書を解釈してみようという試みです。

マタイ18.3
 「はっきり言っておく、心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」

宗教に対する概念を変えてみませんか。

面白そう「英会話」の本がありました。


tabl<e border=0 colspacing=0 cellpadding=0>英語は5歳児の日本語で考えると面白いように話せる!奥村美里きこ書房


神様を畏れる

2013年09月10日 | 節約聖書
 「旧約聖書」「新約聖書」があるなら「節約聖書」があってもよいのでは?
これは、神をも畏れぬ発想なのか?神を冒涜することになるのか?
「触らぬ神に祟りなし」なのか?
自称、聖書の信奉者であるとはいえ、「聖書」を前面に打ち出すのは、
戸惑いを感じていましたが「神を畏れればこそ」『節約聖書』なるものを
書いてみようと思うのです。

 もっと、聖書に何が書いてあるのかわかりやすく伝えることができれば、世界は、変わる。
そう信じてキーボードを打っているのです。
万人が「神様と人間との契約」を知ることが人類が「約束の地」(天国、楽園、極楽浄土など)に辿り着く近道なのだと思います。

『節約聖書』なるショートカットで世界を変えようとしているのです。

世の中は、どんどん便利快適になっているのに、「宗教」だけは、いまだ古典や歴史に縛られては
いないでしょうか?そろそろ飛躍的な発展を遂げたらどうでしょう。

私たちが便利で快適な生活が送れるのは、誰かが便利なモノを開発してくれているからなのです。
一般ユーザーがそれを対価で手に入れ使っているそれが世の中なのです。

想像力が未来を作っているのです。

私が想像し開発したもの・・・それは、宗教です。分不相応かもしれません。
でも使命感に動かされています。

それをいまから世界に発信していきたいのです。
キャッチコピーは、
「月々のランニングコストが0円の宗教を開発しました。」といったところでしょうか?
それは、「無線LAN」的な発想です。有線でプロバイダーと繋がっていなくてもいいのです。
万人がそれぞれ「wi‐fiスポット」にいてそれを利用することができると仮定しての発想なのです。

宗教団体は、プロバイダーのようなものです。宗教団体に入っていなくても心の中で偉大な何か・・
「something great」と繋がることは、できる。私の体験からそう考えたのです。


そこから得られる情報は、というと「未来」です。
「聖書」は、「約束の地」までの地図です。
目的地に辿り着いたとき地図は、その役目を終えるのです。
私たちが「約束の地」をすなわち「未来」を観ることができたとき宗教は、その役目を終えるのです。

現実の世界では、「行きたい」とその気になった時、お金と時間があればほとんどの場所にいけるはずです。
未来にもその気になれば行くことができる。のでは、ないでしょうか?

大切なのは、そこが「行ける場所」なのか「行けない場所」なのかハッキリ認識することなのです。

そして、私たちが未来に行くために必要な対価・・それは、悔い改めることだけなのです。

「節約聖書」・・交響曲を誰でも親しめる J POP にそんな発想です。



 マタイ3.2 
  「悔い改めよ 天の国は、近づいた」
 この聖句は、いまも生きているのです。 

 「天の国は、近づいた」そのことが福音・・良い知らせなのです。


 マタイ24.14
  「そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。
  それから、終わりが来る。」


  少なくとも全世界に福音が宣べ伝えられなければ、終わりは、来ないし
  宣べ伝えられてから何かが変わるということでしょう。

 マタイ10.6・7
  「イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。行って『天の国は、近づいた』と宣べ伝えなさい。」


  新約聖書は、イエス・キリストと12人の使徒が福音を宣べ伝えた歴史の書です。
  心の耳を澄ますとき福音は、時空を超えてあなたにも聴こえるはずです。


  心の耳の澄まし方それは、悔い改めることなのです。

  私が体験した方法を「心のクリーンアップ」として 下記ホームページで紹介しています。

  http://peace2009.net/index.php?%BC%C2%C1%A9%A4%B7%A4%DE%A4%B7%A4%E7%A4%A6