地球規模での人類の存続が危ぶまれる現代において宗教が担う役割は、大きなも のになりつつある。しかし一方では、宗教離れや精神文化の荒廃が進んでいることも否定できない。そのなかで真理の情報をいかに伝えていくかが鍵となってくる。宗教を含む精神世界の全体像を「内なる宇宙」として捉え、分析し新たに考察することでこれからの宗教の進む方向性を見いだせないだろうか。いずれにしても原点にたち戻り姿勢を正すことが宗教本来の目的を果たすうえでの条件になるのではないでしょうか。
宗教の役割
あらゆる真摯な宗教の目的は、此岸から彼岸への道を説くことだといいます。
現代的に言い換えるならひとりひとりの精神の平安から恒久的平和を実現することにあると思います。しかし、現在の日本の社会においてそのような宗教の基本的存在理由を知る人は少なくなってきているように感じます。
その背景には、宗教の必要性を見いだせない現代社会の多様化した価値観があったり、一部の宗教団体が起こした事件により蔓延しつつある宗教嫌い、宗教アレルギーがあると思います。そしてそれに対応できない宗教団体の経営の甘さがあるのではないでしょうか。
人を救うはずの宗教がなぜ人に害を及ぼすのでしょうか。それは、経済発展の陰に様々な公害問題があったことと相似の関係にあるようです。信仰によって救われた人もいれば度の過ぎた信仰が争いの原因になることも多いはずです。公害問題の多発から企業の環境保全の意識が高まり、その取り組みは、広がりをみせています。このような時代背景の中で、うわべだけでなく本質的な宗教の取り組みが期待されます。目に見えない情報世界の環境に配慮したかたちで情報の供給を行っていくことが、これからの宗教の課題であり役割だと思います。
精神世界を内なる宇宙として捉える
精神世界の英語訳は、「 inner space 」です。これを日本語に直訳しなおせば「内なる宇宙」ということになります。秩序の整った人体のことは、よく「小宇宙である」と表現されるようにそれとつながりを持った精神も宇宙と相似の関係にあると考えることは、理にかなっているようです。また、それとは、逆に、不可視の宇宙がわたしたちの内側にあるから、可視の宇宙が理解できる。ということなのかもしれません。
漠然と宗教や信仰について考えをめぐらすより、宇宙という秩序正しく成り立っているものに当てはめて分析し、仮説を立てていくなら内なる宇宙の闇の部分が見えるかたちで表現できるのではないでしょうか。また、そうすることで、だれもが全体像としての精神世界、内なる宇宙というものを共通に認識できるはずです。
いまでこそ、地球が球体で太陽の周りを公転しているという認識は、社会に浸透しています。が、しかしこの地動説が常識となるまでは、多くの人々は、天動説を信じていたわけです。そのことに、精神世界を当てはめると信仰=内なる宇宙観には、対極する二つの説があることになるのではないでしょうか。
それは、生命原理としての神が人間の内にあるのか、それとも無いのか、という認識の違いであったり、生命が個々なもなのか、繋がったものなのか、という認識の違いに、見てとれると思います。精神世界を内なる宇宙として捉えることで、まず、この点が改善されると思います。
(神とは、宗教、特有の信仰の対象、人格をもったものとすると唯神論か無神論かという論議になってしまうのでこの場合は、神=宇宙を貫く真理と考えたほうが仮説を抵抗なく受け入れられると思います。)
精神世界と可視の宇宙が相似象であるという仮定
「こちらのほうが簡単に説明できる」と理由からコペルニクスは、地動説を唱えたといいます。やがて、人々は、明解な世界観をいだいたのです。その陰に望遠鏡の発明、観測技術の向上があったことは、いうまでもありません。
内なる宇宙において、宗教や哲学によりわたしたちが得る情報は、可視の世界での天文台の観測結果に相当しているように思います。それを信仰する信者となれば集いの場は、プラネタリウムやテーマパークと、いったところでしょうか。わたしは、宗教家ではありませんし、宗教評論家でもありません。宗教の全体像を見たいという探究心から、アマチュア天文学者きどりでプラネタリウムやテーマパークの情報収集をしたり様々な対象に信仰をいだく人々に接してきました。そこには、いくつもの宇宙があるのです。そして、その活動は、本来の宗教の目的からはずれたところで営まれているのでは、ないかと疑問を感じたのです。宗教の経営は、平和の実現のために精神世界という内なる宇宙の開発と最新情報の提供にあるべきだとわたしは、思います。
可視の世界では、宇宙開発の新しい情報は、公開され万人が共通に知ることができます。
一方、精神世界=内なる宇宙の情報は、数多くあり、本来、繋がっているはずの宇宙が分断された形でしか知ることが出来ないのです。この内なる宇宙の一致した新しい情報がわかりやすく伝えられるならば、宇宙観の違い、情報の時差は、おのずと無くなるはずです。情報提供の環境を整えるには、可視の宇宙と相似象という仮定で内なる宇宙の実像に
迫ることが有効であると考えました。
「そのほうが驚くほど簡単に説明できるのです。」
真理への道を表す地図を共通のものさし=信仰の動機と目的の一致で見える形にしようという試みなのです。可視の宇宙開発をモデルにすれば、真理を求めやすくなるはずです。