天地暗察  もうひとつの宇宙の観察の記録

「心の闇」といえばネガティブな響きですが
その闇を「内なる宇宙」と捉え観察してきました。いま、パラダイムシフトの時

「内なる宇宙の真理を求めて」

2014年10月10日 | 内なる宇宙

 
  地球規模での人類の存続が危ぶまれる現代において宗教が担う役割は、大きなも   のになりつつある。しかし一方では、宗教離れや精神文化の荒廃が進んでいることも否定できない。そのなかで真理の情報をいかに伝えていくかが鍵となってくる。宗教を含む精神世界の全体像を「内なる宇宙」として捉え、分析し新たに考察することでこれからの宗教の進む方向性を見いだせないだろうか。いずれにしても原点にたち戻り姿勢を正すことが宗教本来の目的を果たすうえでの条件になるのではないでしょうか。 

宗教の役割
 あらゆる真摯な宗教の目的は、此岸から彼岸への道を説くことだといいます。
現代的に言い換えるならひとりひとりの精神の平安から恒久的平和を実現することにあると思います。しかし、現在の日本の社会においてそのような宗教の基本的存在理由を知る人は少なくなってきているように感じます。
その背景には、宗教の必要性を見いだせない現代社会の多様化した価値観があったり、一部の宗教団体が起こした事件により蔓延しつつある宗教嫌い、宗教アレルギーがあると思います。そしてそれに対応できない宗教団体の経営の甘さがあるのではないでしょうか。
 人を救うはずの宗教がなぜ人に害を及ぼすのでしょうか。それは、経済発展の陰に様々な公害問題があったことと相似の関係にあるようです。信仰によって救われた人もいれば度の過ぎた信仰が争いの原因になることも多いはずです。公害問題の多発から企業の環境保全の意識が高まり、その取り組みは、広がりをみせています。このような時代背景の中で、うわべだけでなく本質的な宗教の取り組みが期待されます。目に見えない情報世界の環境に配慮したかたちで情報の供給を行っていくことが、これからの宗教の課題であり役割だと思います。

精神世界を内なる宇宙として捉える
 精神世界の英語訳は、「 inner space 」です。これを日本語に直訳しなおせば「内なる宇宙」ということになります。秩序の整った人体のことは、よく「小宇宙である」と表現されるようにそれとつながりを持った精神も宇宙と相似の関係にあると考えることは、理にかなっているようです。また、それとは、逆に、不可視の宇宙がわたしたちの内側にあるから、可視の宇宙が理解できる。ということなのかもしれません。
漠然と宗教や信仰について考えをめぐらすより、宇宙という秩序正しく成り立っているものに当てはめて分析し、仮説を立てていくなら内なる宇宙の闇の部分が見えるかたちで表現できるのではないでしょうか。また、そうすることで、だれもが全体像としての精神世界、内なる宇宙というものを共通に認識できるはずです。
いまでこそ、地球が球体で太陽の周りを公転しているという認識は、社会に浸透しています。が、しかしこの地動説が常識となるまでは、多くの人々は、天動説を信じていたわけです。そのことに、精神世界を当てはめると信仰=内なる宇宙観には、対極する二つの説があることになるのではないでしょうか。
それは、生命原理としての神が人間の内にあるのか、それとも無いのか、という認識の違いであったり、生命が個々なもなのか、繋がったものなのか、という認識の違いに、見てとれると思います。精神世界を内なる宇宙として捉えることで、まず、この点が改善されると思います。
(神とは、宗教、特有の信仰の対象、人格をもったものとすると唯神論か無神論かという論議になってしまうのでこの場合は、神=宇宙を貫く真理と考えたほうが仮説を抵抗なく受け入れられると思います。)

精神世界と可視の宇宙が相似象であるという仮定
 「こちらのほうが簡単に説明できる」と理由からコペルニクスは、地動説を唱えたといいます。やがて、人々は、明解な世界観をいだいたのです。その陰に望遠鏡の発明、観測技術の向上があったことは、いうまでもありません。
内なる宇宙において、宗教や哲学によりわたしたちが得る情報は、可視の世界での天文台の観測結果に相当しているように思います。それを信仰する信者となれば集いの場は、プラネタリウムやテーマパークと、いったところでしょうか。わたしは、宗教家ではありませんし、宗教評論家でもありません。宗教の全体像を見たいという探究心から、アマチュア天文学者きどりでプラネタリウムやテーマパークの情報収集をしたり様々な対象に信仰をいだく人々に接してきました。そこには、いくつもの宇宙があるのです。そして、その活動は、本来の宗教の目的からはずれたところで営まれているのでは、ないかと疑問を感じたのです。宗教の経営は、平和の実現のために精神世界という内なる宇宙の開発と最新情報の提供にあるべきだとわたしは、思います。
可視の世界では、宇宙開発の新しい情報は、公開され万人が共通に知ることができます。
一方、精神世界=内なる宇宙の情報は、数多くあり、本来、繋がっているはずの宇宙が分断された形でしか知ることが出来ないのです。この内なる宇宙の一致した新しい情報がわかりやすく伝えられるならば、宇宙観の違い、情報の時差は、おのずと無くなるはずです。情報提供の環境を整えるには、可視の宇宙と相似象という仮定で内なる宇宙の実像に
迫ることが有効であると考えました。
「そのほうが驚くほど簡単に説明できるのです。」
真理への道を表す地図を共通のものさし=信仰の動機と目的の一致で見える形にしようという試みなのです。可視の宇宙開発をモデルにすれば、真理を求めやすくなるはずです。 
    

心の機能

2013年07月07日 | 内なる宇宙
 私たちの身体には、生命維持に必要な機能から日常を楽しく過ごせる機能が揃っています。それを「当たり前」だと言ってしまえばそれまでなのですが・・聴覚・視覚・味覚etcどれをとっても実にありがたい機能だなーと思うのです。
ものごころ着いた頃から私たちは、その五感が揃った「当たり前」の身体で生活してきたのです。病気や怪我でその「当たり前」が機能しなくなった時、あらためてそのありがたみを感じたりするわけです。

「心の機能」ってなんでしょう?
心は、私たちが様々な経験をしてその体験からの感覚や感情の蓄積で成長するものなのでは、ないでしょうか?
私がそう考えるのは、いま自分の心は、「成長」したんだ。って思えるからなのです。
いままで、聴こえなかった声が聴こえる感覚・いままで見えなかったものが見える感覚があるのです。
きっとその「心の機能」は、最初から私たちにプログラムされているものでいままで未熟であったため気づかなかっただけなのかもしれません。もしくは、環境により機能していなかったのかもしれません。

 前の記事「観測する前準備」と前後しますが心の視覚や聴覚が機能してはじめて自身で体験することができるのだと思います。

ものが立体的に見えること、遠近感がわかること、声のする方がわかることその「能力」が心にも備わっているのです。

社会通念や迷信にとらわれないで未来を見ることは、両眼視のようなものです。いま、社会が混迷しているのは、多くの人が片眼をつぶっているからなのです。自分たちがどこにいてどこに向かうのか?はっきりしないのは、雑音で心の聴覚が機能していないだけなのです。

「宗教なくして科学は不具であり、科学なくして宗教は、盲目です。」
これは、アインシュタインの言葉です。


宗教は、いま社会に必要な情報を伝えなければなりません。

私たちは、「宗教とは、なんなのか?」そろそろ見極めなければなりません。

もし、私たちに行くべき未来がプログラムされているのならそこに行くことは、難しいことではないのです。

観測する前準備

2012年11月06日 | 内なる宇宙
 
「内なる宇宙」は、どのように観測するのでしょうか?
私が『心は、宇宙なんだ』と気付いたときのことを振り返えると・・
どんよりとした雲の間から太陽の光が差し込み一気に晴れ間が広がったような感覚だったのです。
私たちは、現実に空が灰色の雲で覆われていたとしてもその分厚い雲の上には、燦々と輝く太陽があることを知っています。
もし、夜、光のない暗闇だとしてもその雲の上には、月や星々が煌めく夜空があることを知っています。

でも、私は、それまで心の中では、光を観じたことがなくてそのとき初めて外の世界を知ったのかもしれません。
まるで、鳥の雛が孵った時のように、それまで暗闇の中にいた植物の生命が発芽したときのようであったのだろうと思います。
そう捉えることで「コペルニクス的展開」が始まったのです。

観測するよりもまず、その対象があることを認識しなければならなかったのです。

月が実際に行ける天体であると認識しなければ、誰もそこへ辿りつけないのです。

希望の未来があると認識することで私たちの世界は、平和になるのだと思います。

では、どのようにつつけば、自分の心の殻を破ることが出来るのでしょうか?
私がやった具体的な方法を紹介します。それは、自分自身に肯定的な言葉を投げかける作業です。
実際には、日記をつける要領でノートにポジティブな言葉を書いていきます。
 
まず、最初に自分自身を認めて褒めることから始めます。そうすることで自尊感情が高まります。
それから、家族、友達、同僚、先生・・お付き合いがある方に肯定的な言葉を投げかけていきます。

  例・私は、私が大好きです
    私は、いつも明るいところが素晴らしい
    私は、いつも元気なところが素晴らしい
    私は、私の家族を愛しています
    私は、家族思いなところが素晴らしい
    私は、働き者で素晴らしい
    日記をつけだした、私は、素晴らしい

これで心という『宇宙』を観測する環境が整ったのだと思います。
要は、心の中のくもりを取り除くことなのです。くわしくは、下記ホームページで紹介しています。
http://peace2009.net/index.php?%BC%C2%C1%A9%A4%B7%A4%DE%A4%B7%A4%E7%A4%A6 

この日記をモチーフにしたものが絵本「ひだまり日記」です。

ひだまり日記
なかしま まりこ
梓書院


新しい物語を小説サイトにアップしています。http://ncode.syosetu.com/n5252bk/

いま、世界に必要なのは、SFです。夢や希望が未来をつくる原動力なのです。

天地暗察とは

2012年09月29日 | 内なる宇宙
 「天地明察」っていう映画のタイトルは、知ってるけど「天地暗察」ってなに?っと思われた方も多いと思います。
「暗察・あんさつ」というのは、私が考えた新造語です。「明察」の意味は、〔はっきりと事態、事情を見抜くこと〕とあります。「暗察」も意味としては、「明察」と同じです。ただ、その〔はっきりさせる対象が心〕ということなのです。肉体の眼で観察、観測を行って事象をはっきりさせるように私は、心の眼で「心という空間」を観てきました。概念的には、心理学とかスピリチュアルとかいう分野です。がしかし、私の伝えたいことを包括する言葉というものがないまま、思いついたことをノートにメモするだけの日々を過ごしていました。
 そんなある日、テレビで『天地明察』のCMを目にしたのです。「これだ!!」直感的にそう思いました。なんて、ぴったりの言葉なんだろうと独りウキウキしていたのです。それから、新聞広告を読んで「ブログのタイトルは、『天地暗察』に決めたのでした。早速、映画館に足を運び『天地明察』を鑑賞しました。
 主人公「安井算哲」の生き方といままでの自分がちょうど重なるような・・妙な安心感?みたいなものがあり勇気と希望をもらいました。たくさんの人に支えられ、物事は、成し遂げられていくんだなーとあらためて教えてくれる映画でした。

 『天地明察』は、日本初の暦作りの歴史を描いた映画です。それでは、『天地暗察』は、どんなブログになるのでしょうか?
私は、このブログが歴史の転換点のきっかっけになることを望んでいます。「心」のパラダイムシフトを起こそうという野望をもっています。私は、つい最近までパート務めをしていた一介の主婦に過ぎません。大学で何かを専門に学んだわけでもなく、社会的には、なんの肩書きも持っていません。自称「心の探検家」「心の科学者」「心の天文学者」ってところです。

「心」は、目に見えないものです。では、その見えない心は、どうすれば観察できるのでしょうか?
広辞苑で「こころ」とか「こころを」と検索すると「心合い」から「心を寄せる」まで数十余の意味が載っています。心は、確かに私たちの内面に存在するのです。それでも「心」は、二次元でもなく三次元でもなくともかく「空間」として捉えるしか説明のしようがないでしょう。

 同じ物事でもひとそれぞれ感じかたは、違うのは、なぜ??そんなことばかり考えていたある日『心』は、『宇宙』なんだと私の認識が変わったのです。それは、私に起こった小さくも大きな『パラダイムシフト』でした。天動説の時代、〔人々は、星は、天幕に張り付いているものである〕と思っていて「宇宙」という概念もなっかったそうです。『心=内なる宇宙』そう感じた時、私の意識は、天幕(自己限定とか自分の殻)の外の宇宙空間にあったのでしょう。それまでの重力(常識や固定観念)から解放された私は、この『内なる宇宙』の真理を詳らかにしなければ・・という使命感に突き動かされてきました。

 『天地明察』というヒット作をもじり『天地暗察』となったようなわけで・・「人の牛蒡で法事」とか「人の褌で相撲を取る」
ということわざがちらつきますが今風にいえば、「テンプレートとして利用させていただく」ようなつもりです。
観測方法は、違えどその対象は、宇宙なのです。「目に見える宇宙」をモデルに「内なる宇宙」の仕組みを伝えていきます。
次回は、その驚くべき??観測方法についてです。お楽しみに!!

  
天地明察
冲方 丁
角川書店(角川グループパブリッシング)