天地暗察  もうひとつの宇宙の観察の記録

「心の闇」といえばネガティブな響きですが
その闇を「内なる宇宙」と捉え観察してきました。いま、パラダイムシフトの時

数学的な表現

2013年09月22日 | 意識可視化計画
6×6=36 は、 6の二乗 ですね。

物理学には、二乗に比例する法則がいくつかあるでしよう。
きっと、心という「内なる宇宙」にも可視の宇宙と同じ法則がある。というのが私の持論です。

「内なる宇宙」と「可視の宇宙」を相似象と仮定すると「内なる宇宙」の仕組みがはっきりわかってきたような
気がします。「内なる宇宙」の開発は、宗教や心理学その他・・が担っている・・

しかし、「可視の宇宙開発」と比べたとき一方は、まだ、天動説が常識なのではないでしょうか?
人々が天動説を信じたままだったら人類は、未だ月にさえ行っていないでしょう。

人類が月面に着陸できたのは、地動説で人類の認識がシフトしたからではないでしょうか?
「内なる宇宙」のパラダイムシフトが興れば、私たちは、理想の未来へ行くことができるでしょう。

目に見えない心という宇宙・・数学的な表現でその仕組みを伝えようという試みです。

イプシロンロケットがモバイル管制で打ち上げられたように「内なる宇宙」に革新的な技術開発が
なされたとき現代社会は、一瞬にして過去のものとなるかもしれません。

例えば、飛行機を知らない未開の地の人がいたとしても飛行機に乗り込めば1万数千㎞を24時間足らずで
移動できてしまうのです。

誰かの想像は、創造となり 想像しなかった人は、その未来の技術を対価で使うことができるのです。
そうして、この社会の文明は、進化しているわけです。
身の回りを見てください私たちの便利・快適な生活は、誰かの想像力のお蔭なのです。

ガリレオが発見した法則
 「落下距離は、落下時間の二乗に比例する」

これを「内なる宇宙」に置き換えて 「文明の進化は、人々の想像力の二乗に比例する」
・・少々強引な法則の仮説かもしれませんがあながち、間違っているともいえないと思うのです。

 要は、「想像力が未来を作っている」「その気になれば時空を超えて未来にいける」と伝えたいのです。

私たちが宇宙に対価を支払うとき 未来は、すぐそこにあるのかもしれません。

支払うべき対価それは、心の重荷を下ろすことでしょうか。

カテゴリー「内なる宇宙」の「観測する前準備」の記事で紹介しています。
 

神様を畏れる

2013年09月10日 | 節約聖書
 「旧約聖書」「新約聖書」があるなら「節約聖書」があってもよいのでは?
これは、神をも畏れぬ発想なのか?神を冒涜することになるのか?
「触らぬ神に祟りなし」なのか?
自称、聖書の信奉者であるとはいえ、「聖書」を前面に打ち出すのは、
戸惑いを感じていましたが「神を畏れればこそ」『節約聖書』なるものを
書いてみようと思うのです。

 もっと、聖書に何が書いてあるのかわかりやすく伝えることができれば、世界は、変わる。
そう信じてキーボードを打っているのです。
万人が「神様と人間との契約」を知ることが人類が「約束の地」(天国、楽園、極楽浄土など)に辿り着く近道なのだと思います。

『節約聖書』なるショートカットで世界を変えようとしているのです。

世の中は、どんどん便利快適になっているのに、「宗教」だけは、いまだ古典や歴史に縛られては
いないでしょうか?そろそろ飛躍的な発展を遂げたらどうでしょう。

私たちが便利で快適な生活が送れるのは、誰かが便利なモノを開発してくれているからなのです。
一般ユーザーがそれを対価で手に入れ使っているそれが世の中なのです。

想像力が未来を作っているのです。

私が想像し開発したもの・・・それは、宗教です。分不相応かもしれません。
でも使命感に動かされています。

それをいまから世界に発信していきたいのです。
キャッチコピーは、
「月々のランニングコストが0円の宗教を開発しました。」といったところでしょうか?
それは、「無線LAN」的な発想です。有線でプロバイダーと繋がっていなくてもいいのです。
万人がそれぞれ「wi‐fiスポット」にいてそれを利用することができると仮定しての発想なのです。

宗教団体は、プロバイダーのようなものです。宗教団体に入っていなくても心の中で偉大な何か・・
「something great」と繋がることは、できる。私の体験からそう考えたのです。


そこから得られる情報は、というと「未来」です。
「聖書」は、「約束の地」までの地図です。
目的地に辿り着いたとき地図は、その役目を終えるのです。
私たちが「約束の地」をすなわち「未来」を観ることができたとき宗教は、その役目を終えるのです。

現実の世界では、「行きたい」とその気になった時、お金と時間があればほとんどの場所にいけるはずです。
未来にもその気になれば行くことができる。のでは、ないでしょうか?

大切なのは、そこが「行ける場所」なのか「行けない場所」なのかハッキリ認識することなのです。

そして、私たちが未来に行くために必要な対価・・それは、悔い改めることだけなのです。

「節約聖書」・・交響曲を誰でも親しめる J POP にそんな発想です。



 マタイ3.2 
  「悔い改めよ 天の国は、近づいた」
 この聖句は、いまも生きているのです。 

 「天の国は、近づいた」そのことが福音・・良い知らせなのです。


 マタイ24.14
  「そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。
  それから、終わりが来る。」


  少なくとも全世界に福音が宣べ伝えられなければ、終わりは、来ないし
  宣べ伝えられてから何かが変わるということでしょう。

 マタイ10.6・7
  「イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。行って『天の国は、近づいた』と宣べ伝えなさい。」


  新約聖書は、イエス・キリストと12人の使徒が福音を宣べ伝えた歴史の書です。
  心の耳を澄ますとき福音は、時空を超えてあなたにも聴こえるはずです。


  心の耳の澄まし方それは、悔い改めることなのです。

  私が体験した方法を「心のクリーンアップ」として 下記ホームページで紹介しています。

  http://peace2009.net/index.php?%BC%C2%C1%A9%A4%B7%A4%DE%A4%B7%A4%E7%A4%A6