「天地明察」っていう映画のタイトルは、知ってるけど「天地暗察」ってなに?っと思われた方も多いと思います。
「暗察・あんさつ」というのは、私が考えた新造語です。「明察」の意味は、〔はっきりと事態、事情を見抜くこと〕とあります。「暗察」も意味としては、「明察」と同じです。ただ、その〔はっきりさせる対象が心〕ということなのです。肉体の眼で観察、観測を行って事象をはっきりさせるように私は、心の眼で「心という空間」を観てきました。概念的には、心理学とかスピリチュアルとかいう分野です。がしかし、私の伝えたいことを包括する言葉というものがないまま、思いついたことをノートにメモするだけの日々を過ごしていました。
そんなある日、テレビで『天地明察』のCMを目にしたのです。「これだ!!」直感的にそう思いました。なんて、ぴったりの言葉なんだろうと独りウキウキしていたのです。それから、新聞広告を読んで「ブログのタイトルは、『天地暗察』に決めたのでした。早速、映画館に足を運び『天地明察』を鑑賞しました。
主人公「安井算哲」の生き方といままでの自分がちょうど重なるような・・妙な安心感?みたいなものがあり勇気と希望をもらいました。たくさんの人に支えられ、物事は、成し遂げられていくんだなーとあらためて教えてくれる映画でした。
『天地明察』は、日本初の暦作りの歴史を描いた映画です。それでは、『天地暗察』は、どんなブログになるのでしょうか?
私は、このブログが歴史の転換点のきっかっけになることを望んでいます。「心」のパラダイムシフトを起こそうという野望をもっています。私は、つい最近までパート務めをしていた一介の主婦に過ぎません。大学で何かを専門に学んだわけでもなく、社会的には、なんの肩書きも持っていません。自称「心の探検家」「心の科学者」「心の天文学者」ってところです。
「心」は、目に見えないものです。では、その見えない心は、どうすれば観察できるのでしょうか?
広辞苑で「こころ」とか「こころを」と検索すると「心合い」から「心を寄せる」まで数十余の意味が載っています。心は、確かに私たちの内面に存在するのです。それでも「心」は、二次元でもなく三次元でもなくともかく「空間」として捉えるしか説明のしようがないでしょう。
同じ物事でもひとそれぞれ感じかたは、違うのは、なぜ??そんなことばかり考えていたある日『心』は、『宇宙』なんだと私の認識が変わったのです。それは、私に起こった小さくも大きな『パラダイムシフト』でした。天動説の時代、〔人々は、星は、天幕に張り付いているものである〕と思っていて「宇宙」という概念もなっかったそうです。『心=内なる宇宙』そう感じた時、私の意識は、天幕(自己限定とか自分の殻)の外の宇宙空間にあったのでしょう。それまでの重力(常識や固定観念)から解放された私は、この『内なる宇宙』の真理を詳らかにしなければ・・という使命感に突き動かされてきました。
『天地明察』というヒット作をもじり『天地暗察』となったようなわけで・・「人の牛蒡で法事」とか「人の褌で相撲を取る」
ということわざがちらつきますが今風にいえば、「テンプレートとして利用させていただく」ようなつもりです。
観測方法は、違えどその対象は、宇宙なのです。「目に見える宇宙」をモデルに「内なる宇宙」の仕組みを伝えていきます。
次回は、その驚くべき??観測方法についてです。お楽しみに!!
「暗察・あんさつ」というのは、私が考えた新造語です。「明察」の意味は、〔はっきりと事態、事情を見抜くこと〕とあります。「暗察」も意味としては、「明察」と同じです。ただ、その〔はっきりさせる対象が心〕ということなのです。肉体の眼で観察、観測を行って事象をはっきりさせるように私は、心の眼で「心という空間」を観てきました。概念的には、心理学とかスピリチュアルとかいう分野です。がしかし、私の伝えたいことを包括する言葉というものがないまま、思いついたことをノートにメモするだけの日々を過ごしていました。
そんなある日、テレビで『天地明察』のCMを目にしたのです。「これだ!!」直感的にそう思いました。なんて、ぴったりの言葉なんだろうと独りウキウキしていたのです。それから、新聞広告を読んで「ブログのタイトルは、『天地暗察』に決めたのでした。早速、映画館に足を運び『天地明察』を鑑賞しました。
主人公「安井算哲」の生き方といままでの自分がちょうど重なるような・・妙な安心感?みたいなものがあり勇気と希望をもらいました。たくさんの人に支えられ、物事は、成し遂げられていくんだなーとあらためて教えてくれる映画でした。
『天地明察』は、日本初の暦作りの歴史を描いた映画です。それでは、『天地暗察』は、どんなブログになるのでしょうか?
私は、このブログが歴史の転換点のきっかっけになることを望んでいます。「心」のパラダイムシフトを起こそうという野望をもっています。私は、つい最近までパート務めをしていた一介の主婦に過ぎません。大学で何かを専門に学んだわけでもなく、社会的には、なんの肩書きも持っていません。自称「心の探検家」「心の科学者」「心の天文学者」ってところです。
「心」は、目に見えないものです。では、その見えない心は、どうすれば観察できるのでしょうか?
広辞苑で「こころ」とか「こころを」と検索すると「心合い」から「心を寄せる」まで数十余の意味が載っています。心は、確かに私たちの内面に存在するのです。それでも「心」は、二次元でもなく三次元でもなくともかく「空間」として捉えるしか説明のしようがないでしょう。
同じ物事でもひとそれぞれ感じかたは、違うのは、なぜ??そんなことばかり考えていたある日『心』は、『宇宙』なんだと私の認識が変わったのです。それは、私に起こった小さくも大きな『パラダイムシフト』でした。天動説の時代、〔人々は、星は、天幕に張り付いているものである〕と思っていて「宇宙」という概念もなっかったそうです。『心=内なる宇宙』そう感じた時、私の意識は、天幕(自己限定とか自分の殻)の外の宇宙空間にあったのでしょう。それまでの重力(常識や固定観念)から解放された私は、この『内なる宇宙』の真理を詳らかにしなければ・・という使命感に突き動かされてきました。
『天地明察』というヒット作をもじり『天地暗察』となったようなわけで・・「人の牛蒡で法事」とか「人の褌で相撲を取る」
ということわざがちらつきますが今風にいえば、「テンプレートとして利用させていただく」ようなつもりです。
観測方法は、違えどその対象は、宇宙なのです。「目に見える宇宙」をモデルに「内なる宇宙」の仕組みを伝えていきます。
次回は、その驚くべき??観測方法についてです。お楽しみに!!
天地明察 | |
冲方 丁 | |
角川書店(角川グループパブリッシング) |