私は、30年前 ある本を読んで「世界は、平和になるんだ」ということを感じました。
そういう経験があったので「平和になる=答え」として思考してきました。
算数で例えるなら X+Y=Z Zが私にとって「平和」なのです。そして譲れない X と Y があります。
よく、社会課題の解決には「答えがない」などといわれますが「答え」を設定していないだけなのです。
そういうわけで「どうしたら世界が平和になるのか?」という問題意識をかれこれ30年は、持ち続けています。
私にとっての社会課題は、「世界が平和でない」ことなのです。
昨年は「SDGs」や「グローバル気候マーチ」などが話題でスウェーデンの高校生 グレタさんの「国連」でのスピーチが注目された年であったと思います。それを見て思い出したことがあります。27年前の1992年にも12歳の少女が「地球環境サミット」でスピーチをしていました。当時、カナダで子供環境運動をしていた セヴァン・スズキさんです。
子供たちは、真剣に「未来」を案じ勇気を振り絞っておとなたちの前でスピーチをしています。なのに27年経ってもまだ子供たちが安心して暮らせる未来を私たちおとなは、提示できずにいるのです。技術の進歩により改善している部分もあるので「30年近く経つのに何も変わっていない」とは、いいませんが私たち消費者は、大量生産大量消費の文明からぬけだせず経済成長ばかり追いかけている社会に生活しています。
毎年のように繰り返される甚大な災害もそうですが超高齢化社会に直面した現在 子供たちに残される負の遺産は、確実に増大しているように感じます。
もはや「物理的支援」では、追いつかない状況です。30年近く 探求してきてわかったことがあります。
「世界は、供給者の論理で動いている」 ということです。
ですから「未来」や「平和」を考えるとき 供給者の立場で
もっと 「論理的」に 「戦略的」に考えなければならないのです。
「物理的支援」が限界だとしたら「何で支援するのか?」と
疑問ですよね。それには、まず「世界の捉え方」に2通りの論説があることを知って欲しいのです。私たち一般peopleは、「この見える世界が現実であり物理的な法則に支配されている」と漠然と理解して普段生活しています。
これは、常識的な考えで名前があります。「物理的実在論」と呼ばれます。「物質が存在するから認識する」 という 「世界観」 です。
もう一方は、「量子的実在論」と呼ばれ 「目に見える世界は、仮想現実(VR)である」 という 「世界観」で「シミュレーション仮説」とも呼ばれ 私たちは、「実際に存在しないものを実際のものとして知覚してしまうVR世界の住人である」という説です。
(映画マトリックスのような仮想現実の世界)
「世界の捉え方」の認識と実際のズレがあるかもしれないのです!!
「量子的実在論」を知ってこのような「思考実験」を繰り返すうちに「物理的実在論」の世界観のままでは、「社会課題」を一掃することは、不可能だと思いました。
(一掃することを前提で考察しました。(笑))
それは、「量子的実在論」で考えた方が「平和」のビジョンが明確に描ける。という結果からです。そしてシンプルな仕組みがあることに気づきました。
「思考が現実化する法則」です。「引き寄せの法則」と言ってもいいです。
この仕組みは、誰もが使っていて当たり前すぎて私たちは、「ほしい未来のために」十分活用しきれていなかったのです。この法則を利用しない手は、ありません。私たちは、目の前の「不都合に着目するあまり」見過ごしていたのかもしれません。
目に見える世界は、入力(インプット)が反映された出力(アウトプット)でしかないのです。ですから「ほしい未来」が反映されるように「インプット」することを選べばよいのです。
そういう経験があったので「平和になる=答え」として思考してきました。
算数で例えるなら X+Y=Z Zが私にとって「平和」なのです。そして譲れない X と Y があります。
よく、社会課題の解決には「答えがない」などといわれますが「答え」を設定していないだけなのです。
そういうわけで「どうしたら世界が平和になるのか?」という問題意識をかれこれ30年は、持ち続けています。
私にとっての社会課題は、「世界が平和でない」ことなのです。
昨年は「SDGs」や「グローバル気候マーチ」などが話題でスウェーデンの高校生 グレタさんの「国連」でのスピーチが注目された年であったと思います。それを見て思い出したことがあります。27年前の1992年にも12歳の少女が「地球環境サミット」でスピーチをしていました。当時、カナダで子供環境運動をしていた セヴァン・スズキさんです。
子供たちは、真剣に「未来」を案じ勇気を振り絞っておとなたちの前でスピーチをしています。なのに27年経ってもまだ子供たちが安心して暮らせる未来を私たちおとなは、提示できずにいるのです。技術の進歩により改善している部分もあるので「30年近く経つのに何も変わっていない」とは、いいませんが私たち消費者は、大量生産大量消費の文明からぬけだせず経済成長ばかり追いかけている社会に生活しています。
毎年のように繰り返される甚大な災害もそうですが超高齢化社会に直面した現在 子供たちに残される負の遺産は、確実に増大しているように感じます。
もはや「物理的支援」では、追いつかない状況です。30年近く 探求してきてわかったことがあります。
「世界は、供給者の論理で動いている」 ということです。
ですから「未来」や「平和」を考えるとき 供給者の立場で
もっと 「論理的」に 「戦略的」に考えなければならないのです。
「物理的支援」が限界だとしたら「何で支援するのか?」と
疑問ですよね。それには、まず「世界の捉え方」に2通りの論説があることを知って欲しいのです。私たち一般peopleは、「この見える世界が現実であり物理的な法則に支配されている」と漠然と理解して普段生活しています。
これは、常識的な考えで名前があります。「物理的実在論」と呼ばれます。「物質が存在するから認識する」 という 「世界観」 です。
もう一方は、「量子的実在論」と呼ばれ 「目に見える世界は、仮想現実(VR)である」 という 「世界観」で「シミュレーション仮説」とも呼ばれ 私たちは、「実際に存在しないものを実際のものとして知覚してしまうVR世界の住人である」という説です。
(映画マトリックスのような仮想現実の世界)
「世界の捉え方」の認識と実際のズレがあるかもしれないのです!!
「量子的実在論」を知ってこのような「思考実験」を繰り返すうちに「物理的実在論」の世界観のままでは、「社会課題」を一掃することは、不可能だと思いました。
(一掃することを前提で考察しました。(笑))
それは、「量子的実在論」で考えた方が「平和」のビジョンが明確に描ける。という結果からです。そしてシンプルな仕組みがあることに気づきました。
「思考が現実化する法則」です。「引き寄せの法則」と言ってもいいです。
この仕組みは、誰もが使っていて当たり前すぎて私たちは、「ほしい未来のために」十分活用しきれていなかったのです。この法則を利用しない手は、ありません。私たちは、目の前の「不都合に着目するあまり」見過ごしていたのかもしれません。
目に見える世界は、入力(インプット)が反映された出力(アウトプット)でしかないのです。ですから「ほしい未来」が反映されるように「インプット」することを選べばよいのです。
ソーシャルデザイン0時限目・未来を創り出す言葉の力&交流会
公開 · 主催者: 中島 真理子詳細
社会課題に取り組む前に知っておきたい「言葉の力」があります。
ワークを通して「言葉」や「想像力」について学びを深めませんか?
いつも当たり前に使っている「言葉」ですがその「言葉」なしに
私たちの「思考」もなければ「行動」もありえません。
実は、「言葉」は、世界(社会)を創っている最小単位なのです。
そして「言葉」は、「大きな力」を秘めています。「温かい言葉」によって勇気付けられたり、「冷たい言葉」によって心が傷ついたりあなたもそんな経験があるはずです。「言葉」は、物質では、ありませんがまるで物質のように心に働きかけているのです。
そんなとても大事な存在である「言葉」なのですが目に見えないだけに私たちは、「言葉」について無頓着だったのでは、ないでしょうか?
今回、前半にワークをします。それは、ある物質を「言葉」に見立てることで「可視化」してみようという試みです。
可視化することでその「言葉の力」が解明されれば、社会が劇的に変わる??かもしれません。
「言葉こそ人類最後のフロンティア」某大学の教授がそうおっしゃっていました。「フロンティア」という「言葉」にワクワクが湧き上がってきませんか?
「未開拓の分野」「最先端の分野」は、身近にあるのかもしれません。
後半は、参加者のみなさんが取り組んでいる課題についてディスカッションの場を持ちたいと思います。
【日時】 2019.7月18日 木曜日
19:00~ ワークショップ
20:30~ 交流会 ・ディスカッション
(開場 18:20 持ち込み飲食OKです。)
【参加費】 学生・無料 / 社会人・1000円
【定員】 12名
【会場」 福岡市中央区大名2-9-29
第二プリンスビル1012号室
・ネイチャー会議室・
【主催者・自己紹介】
中島 真理子
十数年前より言葉の持つ力に気づき探究を始める。
実体験を物語にアレンジして絵本を出版
タイトル「ひだまり日記」
朗読を you tube にアップしています
https://note.mu/speace/n/nd60cbf7dd460
みなさんは、社会課題についてどのようにお考えですか?
私は、「この世界は、仮想現実である」という理論が社会課題を一掃するのではないかと考え探究しています。
つまり 映画のマトリックスのような世界観です。ご存じの方も多いと思いますがネットでも「仮想現実」に関する記事は、増えてきましたので
いくつか読まれてください。その中には、この世界は、脳が電気信号によって認識しているだけの仮想現実だという「水槽の脳」という記事もあります。
私たちは、目に見える物が存在し認識するという「物理的実在論」という常識の中で暮らしています。一方、「世界が仮想現実」だという理論は、「量子的実在論」といわれ認識するから存在する。という理論です。私たちが見ているのは、脳に内蔵されたVR端末の映像という説です。
そう考えると いま見ている「VRのコンテンツ」を入れ替えるだけで世界は、変えることが可能だということになります。
立て続けに日本を襲う台風に異常気象、世界でも地震は、多発しています。 もはや「物理的な支援」では、追いつかないと思われませんか?
「物理的実在論」から「量子的実在論」にシフトチェンジすることこそいま、取り組むべき課題だと探究しているのです。
先日、地元 福岡で「SDGs」の講演と福岡吉本のお笑いがコラボしたイベントがありました。
芸人さんが悪いのではありませんが お笑いでは、「天神ビックバン」という都市開発と消費拡大の経済効果がネタになっていました。
「持続可能な社会のための取り組みやエシカル消費」 と 「消費拡大を続ける経済政策」 は、両立不可能だと思うのですがみなさんどうですか?
経済成長ありきの持続可能な社会は、幻想に過ぎないのだとこのとき確信しました。地球存続のためにこの大量生産・大量消費の文明を見直さなければならない時期かと思います。
よく「社会課題の解決には、答えがない」といわれたりしますが 「答えが出せないのは、問いが間違っているから」ってこともあります。
「はじめに答えありき」といいますから 悩めば 答えは、みつかるのです。「答えがない」という思い込みや無意識の諦めがこの世界の現実を創っている
のではないかと私は思います。実際、私は、「なぜ、この世界は、平和でないのか?」とずーっと悩んでいました。
答えを「平和」にしてみれば 以外にあっさり その方法論は、わかってくる。それが「量子的実在論」へパラダイムをシフトすることなのです。
パラダイムシフトといえば 「天動説」から「地動説」への歴史があります。そういう歴史や似たような事例になぞらえることで私は、未来を観察しています。世界は、「VRコンテンツ」の様でもあり 「レゴシティ」の様でもあります。下記にざっくりと タスク・役割の分担表を作ってみました。
こんな感じのFacebookページもやっています
https://www.facebook.com/soukason/?ref=bookmarks
なるほどーと思ったら 「いいね!」お願いします。
私は、「この世界は、仮想現実である」という理論が社会課題を一掃するのではないかと考え探究しています。
つまり 映画のマトリックスのような世界観です。ご存じの方も多いと思いますがネットでも「仮想現実」に関する記事は、増えてきましたので
いくつか読まれてください。その中には、この世界は、脳が電気信号によって認識しているだけの仮想現実だという「水槽の脳」という記事もあります。
私たちは、目に見える物が存在し認識するという「物理的実在論」という常識の中で暮らしています。一方、「世界が仮想現実」だという理論は、「量子的実在論」といわれ認識するから存在する。という理論です。私たちが見ているのは、脳に内蔵されたVR端末の映像という説です。
そう考えると いま見ている「VRのコンテンツ」を入れ替えるだけで世界は、変えることが可能だということになります。
立て続けに日本を襲う台風に異常気象、世界でも地震は、多発しています。 もはや「物理的な支援」では、追いつかないと思われませんか?
「物理的実在論」から「量子的実在論」にシフトチェンジすることこそいま、取り組むべき課題だと探究しているのです。
先日、地元 福岡で「SDGs」の講演と福岡吉本のお笑いがコラボしたイベントがありました。
芸人さんが悪いのではありませんが お笑いでは、「天神ビックバン」という都市開発と消費拡大の経済効果がネタになっていました。
「持続可能な社会のための取り組みやエシカル消費」 と 「消費拡大を続ける経済政策」 は、両立不可能だと思うのですがみなさんどうですか?
経済成長ありきの持続可能な社会は、幻想に過ぎないのだとこのとき確信しました。地球存続のためにこの大量生産・大量消費の文明を見直さなければならない時期かと思います。
よく「社会課題の解決には、答えがない」といわれたりしますが 「答えが出せないのは、問いが間違っているから」ってこともあります。
「はじめに答えありき」といいますから 悩めば 答えは、みつかるのです。「答えがない」という思い込みや無意識の諦めがこの世界の現実を創っている
のではないかと私は思います。実際、私は、「なぜ、この世界は、平和でないのか?」とずーっと悩んでいました。
答えを「平和」にしてみれば 以外にあっさり その方法論は、わかってくる。それが「量子的実在論」へパラダイムをシフトすることなのです。
パラダイムシフトといえば 「天動説」から「地動説」への歴史があります。そういう歴史や似たような事例になぞらえることで私は、未来を観察しています。世界は、「VRコンテンツ」の様でもあり 「レゴシティ」の様でもあります。下記にざっくりと タスク・役割の分担表を作ってみました。
こんな感じのFacebookページもやっています
https://www.facebook.com/soukason/?ref=bookmarks
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自費出版していた絵本です
「世界が平和になる」というお話し
これは、SFであり仮説である
出版から数年 この嘘は、本当になるのか??思考実験を繰り返し
シミュレーションしてきました。
私たちは、行きたいところにいけるのだから 平和な未来にだって行くことができる。
なぜ、行けなかったのか? 本気で行きたい人が少ないからです。
本気で行きたい人が増えれば行ける場所なのです。
朗読は、あとがきまでで自費出版していた絵本です
「世界が平和になる」というお話し
これは、SFであり仮説である
出版から数年 この嘘は、本当になるのか??思考実験を繰り返し
シミュレーションしてきました。
朗読は、あとがきまでで13分ですが あとがきのみテキストを↓貼っています。
あとがき
私たちは、誰でも少し先の未来を想像しながら生活しています。社会は、私たち一人ひとりの想像が反映された結果なのです。
この物語のように「戦争がなくなった世界」を多くの人が想像するだけで、世界は変わり始めるかもしれないのです。たとえば、親鳥のいない鳥は、自分が空を飛べることに気づかずに、ずっと地面を歩いているかもしれません。大樹になることを知らないどんぐりは、いつか、りすに食べられてしまうのではないかといつまでも怯えているかもしれません。先に成長した、お手本となるものがあれば、同じように成長することになんの疑いもないのです。いま、私たちがこのような世界に留まっているのはなぜでしょう?
もし、「平和」という目的が一致し、適切な手段があるならば、目的地にたどり着くのは時間の問題だと思います。
「世界から戦争がなくなる」というのは、決してユートピア的な考えではありません。いつまでも戦争がなくならないのは、いままで、私たちが「戦争のなくなった世界」を想像できなかったからではないでしょうか?
「ひだまり日記」をつけると心が元気になります。自分のことを「すばらしい」と、日記にほめ言葉を書くと、不思議と身の周りのひとの良いところも見えてきます。「感謝できること」は身近にたくさんあるのです。それは、まさに「天国のごちそう」。目には見えませんが、心の中、言葉の世界に確かに存在するのです。私たちは、つい目に見える環境に原因を押し付け、不安や不平、不満の感情をもってしまいます。しかし、それらは感謝の言葉で心の栄養に換えることができるのです。心の空腹が満たされ栄養状態が良くなれば、私たちの心は成長します。そして同時にいままで心にあったネガティブな感情という重荷からも解放されるのです。あなたは、自由な発想で未来を思い描くことができるようになります。あなたもぜひ「ひだまり日記」で心の食を豊かにしてください。きっと、心が軽くなるはずです。私が「ひだまり日記」をつけだしてからのことです。
「心の飢えや渇きがなくなることで現実の世界からも飢餓がなくなり、調和のとれた社会になるのではないか」そんな考えが頭をよぎりました。それは、同時に私の意識に未来のビジョンとして「戦争のなくなった世界」が映し出された瞬間でもあったのす。
逆から考えると戦争や社会の不都合の原因は、私たちの心のネガティブな感情や意識にあるのではないかと思えてきたのです。ネガティブな感情や意識を心のゴミとするなら、それらは、最終的に集められて戦争や社会の不都合となってに処分されているのではないか? と考えられるのです。兵士は、私たちが出した心のゴミを処分してくれているのではないでしょうか? もし、そう
であるなら処分するゴミがなくなったとき、焼却場もそこで働く人も必要なくなります。心のゴミがなければ戦争も兵士も必要ないことになります。「戦争をなくさなければ平和にならない」のではなく「平和を想像できなかったから戦争が必要だった」という考え方です。どうしたら確かめられるでしょうか? それには、一人とりが心のゴミを出さないように努力し、未来のビジョンを意識に描くしかありません。もし、それが本当なら、やがてそのビジョンは結果として現れてくるはずです。植林されたたくさんの苗木がやがて森となり、生態系を回復させることは容易に想像できます。そのように一人ひとりの心が感謝や思いやり、信頼で満たされ成長したとき、好循環が社会に生まれ、私たちは地球の自然と調和した暮らしができるのだと思います。
ひだまり日記 朗読
「世界が平和になる」というお話し
これは、SFであり仮説である
出版から数年 この嘘は、本当になるのか??思考実験を繰り返し
シミュレーションしてきました。
私たちは、行きたいところにいけるのだから 平和な未来にだって行くことができる。
なぜ、行けなかったのか? 本気で行きたい人が少ないからです。
本気で行きたい人が増えれば行ける場所なのです。
朗読は、あとがきまでで自費出版していた絵本です
「世界が平和になる」というお話し
これは、SFであり仮説である
出版から数年 この嘘は、本当になるのか??思考実験を繰り返し
シミュレーションしてきました。
朗読は、あとがきまでで13分ですが あとがきのみテキストを↓貼っています。
あとがき
私たちは、誰でも少し先の未来を想像しながら生活しています。社会は、私たち一人ひとりの想像が反映された結果なのです。
この物語のように「戦争がなくなった世界」を多くの人が想像するだけで、世界は変わり始めるかもしれないのです。たとえば、親鳥のいない鳥は、自分が空を飛べることに気づかずに、ずっと地面を歩いているかもしれません。大樹になることを知らないどんぐりは、いつか、りすに食べられてしまうのではないかといつまでも怯えているかもしれません。先に成長した、お手本となるものがあれば、同じように成長することになんの疑いもないのです。いま、私たちがこのような世界に留まっているのはなぜでしょう?
もし、「平和」という目的が一致し、適切な手段があるならば、目的地にたどり着くのは時間の問題だと思います。
「世界から戦争がなくなる」というのは、決してユートピア的な考えではありません。いつまでも戦争がなくならないのは、いままで、私たちが「戦争のなくなった世界」を想像できなかったからではないでしょうか?
「ひだまり日記」をつけると心が元気になります。自分のことを「すばらしい」と、日記にほめ言葉を書くと、不思議と身の周りのひとの良いところも見えてきます。「感謝できること」は身近にたくさんあるのです。それは、まさに「天国のごちそう」。目には見えませんが、心の中、言葉の世界に確かに存在するのです。私たちは、つい目に見える環境に原因を押し付け、不安や不平、不満の感情をもってしまいます。しかし、それらは感謝の言葉で心の栄養に換えることができるのです。心の空腹が満たされ栄養状態が良くなれば、私たちの心は成長します。そして同時にいままで心にあったネガティブな感情という重荷からも解放されるのです。あなたは、自由な発想で未来を思い描くことができるようになります。あなたもぜひ「ひだまり日記」で心の食を豊かにしてください。きっと、心が軽くなるはずです。私が「ひだまり日記」をつけだしてからのことです。
「心の飢えや渇きがなくなることで現実の世界からも飢餓がなくなり、調和のとれた社会になるのではないか」そんな考えが頭をよぎりました。それは、同時に私の意識に未来のビジョンとして「戦争のなくなった世界」が映し出された瞬間でもあったのす。
逆から考えると戦争や社会の不都合の原因は、私たちの心のネガティブな感情や意識にあるのではないかと思えてきたのです。ネガティブな感情や意識を心のゴミとするなら、それらは、最終的に集められて戦争や社会の不都合となってに処分されているのではないか? と考えられるのです。兵士は、私たちが出した心のゴミを処分してくれているのではないでしょうか? もし、そう
であるなら処分するゴミがなくなったとき、焼却場もそこで働く人も必要なくなります。心のゴミがなければ戦争も兵士も必要ないことになります。「戦争をなくさなければ平和にならない」のではなく「平和を想像できなかったから戦争が必要だった」という考え方です。どうしたら確かめられるでしょうか? それには、一人とりが心のゴミを出さないように努力し、未来のビジョンを意識に描くしかありません。もし、それが本当なら、やがてそのビジョンは結果として現れてくるはずです。植林されたたくさんの苗木がやがて森となり、生態系を回復させることは容易に想像できます。そのように一人ひとりの心が感謝や思いやり、信頼で満たされ成長したとき、好循環が社会に生まれ、私たちは地球の自然と調和した暮らしができるのだと思います。
ひだまり日記 朗読