つらつら日暮らし

天台智顗『菩薩戒義疏』に見える梵網戒授受法

中国天台宗の実質的な開祖である天台智顗(538~597)が説法し筆録された『菩薩戒義疏(『梵網経』への註釈書)』を見てみると、菩薩戒の受け方に6種類があるという。

次いで法縁を論ず。道俗共用の方法同じからず。略ぼ六種を出だす。一つには梵網本、二つには地持本、三つには高昌本、四つには瓔珞本、五つには新撰本、六つには制旨本なり。
    『菩薩戒義疏』


なお、これ以外にも『優婆塞戒経』や『観普賢菩薩行法経』があるとするが、条件が特殊なために省略するという。そこで、今回は上記6種の内、最初の1つとして挙がっている「梵網本」について見ておきたいと思う。

 梵網受法、是れ盧舎那仏、妙海王子の為の受戒法なり。
 釈迦、舎那より受誦する所、次に転じて逸多菩薩に与え、是の如くして二十余菩薩、次第に相付して什師伝来し、律蔵品に出づ。
 先ず三帰を受けて云く、「我某甲、今身より仏身に至るまで、其の中間に於いて常住仏に帰依す、常住法に帰依す、常住僧に帰依す〈三説す〉」。
 次に三結し已る〈三説す〉。
 次に十不善業を悔いる〈更に起ちて三拝す〉。
 次に約勅の受くるを讃歎するを諦聴す〈三説す〉。
 直に十重の相を説く。能く持つや不やを問う〈次第に「能くす」と答う〉。
 然る後に、結撮して発願を讃歎す。余の所は未だ問い或いは師を解さず〈便ち散ず〉。
 後文に言く、受戒を欲する者は、応に香火して一師を請い仏前に至りて受くべし。
 師、応に問うべし、能く十事を忍ぶや不や、と。割肉飴鷹、投身餓虎等〈恐らくは性地已上、方に能く此を制す〉。
 亦た云く、十里内に師無くんば、仏像前の自譬受を許す。三帰・懺悔して、十重を説く。前と異なること無きが如し。出口の別と為すのみ。
    『菩薩戒義疏』


以上である。これを見ると、『梵網経』から、儀礼の部分のみを取り出したことが分かるけれども、ただ一箇所のみから取り出したわけではあるまい。また、敢えて智顗が儀礼化したと思われる文脈も複数見られる。

まず、最初の一節だが、妙海王子の話が出ているけれども、この辺からいきなりよく分からない。蓮華蔵世界に於ける王子であるというが、『梵網経』本文には無いんじゃないか?また、逸多菩薩というのは、阿逸多菩薩のことなのだろう。つまり、釈尊から阿逸多菩薩がこの戒法を受けて、二十余人の菩薩が受け嗣ぎ、鳩摩羅什三蔵に至り、訳出されたという立場が採られている。無論、現代的な研究では、このような状況全般が否定されているようだが、智顗は独自の相承を主張したことになる。

それから、具体的な授戒法に入っていくが、簡単に書けば、以下の通りである。

・三帰
・三結
・十不善業の懺悔
・約勅讃歎
・十重禁戒
・発願


現代的な観点からだと、懺悔して三帰じゃないのか?とか思うが、先に三帰があって、懺悔となっている。それから、間に挟まれている「三結」については不明。通常、三結というのは「三毒」にほぼ同じ意味であることが多く、よって、否定されるべきものであると思う。とはいえ、三帰して、三結を止め、懺悔するという話なのかもしれない。

それから、約勅に関しても不明。『梵網経』のどの辺が該当するものか?

後の「十重禁戒」と「発願」は、それぞれ『梵網経』下巻に見える(特に「発願」は、四十八軽戒に入っている「十大願」か「十三願」のことであろう)ため、これはこの通りであろう。個人的に気になるのが、「能く持つや不やを問う」という箇所で、これは『梵網経』そのものには無い。しかし、儀礼としては避けて通れないところであるので追加されたものか。

そして、最後の二段は菩薩戒を授与してくれる師が近くにいるかいないかで儀礼の内容が変わることを指摘している。これは、『梵網経』をよく読んでいれば、すぐに分かることである。

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