つらつら日暮らし

何故鑑真来日以前の日本僧達は『占察経』で大僧になれると思ったのか?

日本に於ける仏教徒は、しばらくの間、比丘・比丘尼になるための作法が伝わらず、それを鑑真和上が奈良時代に伝えたことは、非常に有名な話である。然るに、当時の記録では、それまでの僧侶たちというのは『占察経(占察善悪業報経)』でもって、比丘・比丘尼になると考えていたらしい。

それで、拙僧も流石に同経に於いて自誓受戒が説かれるとは知っていたが、そこから比丘・比丘尼になるというのは、想定していなかった。そこで、改めて本文を読んでみた。

復た次に、未来世の諸衆生等、出家を求めんと欲して、及び已に出家するも、若し善好の戒師及び清浄の僧衆を得ること能わずんば、其の心、疑惑す。如法に禁戒を受くることを得ずんば、但だ能く発無上道心を学び、亦た身口意をして清浄を得已らせよ。其れ未だ出家せずんば、応当に剃髮し、法衣を被服して、如上に願を立て、自誓して菩薩律儀三種戒聚を受くべし。則ち波羅提木叉出家の戒を具獲すと名づけ、名づけて比丘・比丘尼と為す。
    『占察経』上巻


なるほど、ここから明確に自誓して菩薩三聚浄戒を受ければ、それで「出家の戒」を受けたと見なされ、しかも、「比丘・比丘尼」と名づけるとしている。「比丘・比丘尼」とあるのだから、これはその通りなのだろう。この辺、例えば他の経典の「自誓受戒」と比較してどうだろうか。

なんじ仏子、仏滅度の後、好心を以て菩薩戒を受けんと欲せん時は、仏・菩薩の形像の前に自誓受戒(自ら誓って戒を受く)すべし。当に七日をもって仏の前に懺悔し、好相を見ることを得れば、便ち戒を得。若し、好相を得ずんば、応に二七・三七・乃至一年にも、要らず好相を得べし。好相を得已らば、便ち仏・菩薩の形像の前に戒を受くべし。若し好相を得ずんば、仏像の前にも受戒すれども、戒を得べからず。
    『梵網経』下巻「第二十三軽蔑新学戒」


このように、『梵網経』の「第二十三軽戒」では、「自誓受戒」によって「菩薩戒」を得ることは示しているが、その結果として比丘・比丘尼になるとは書かれていない。それどころか、本経典では比丘・比丘尼になるための方途がそもそも示されていないように思われる。つまり、本経典に於ける戒律とは、一切衆生を「菩薩」にするためのものであって、優婆塞・優婆夷を沙弥・沙弥尼、或いは比丘・比丘尼に変ずるためのものではないということになる。

この辺は、『瓔珞経』でも同様である。

仏子よ、受戒に三種の受有り。〈中略〉三つには仏滅度の後、千里の内に法師無きの時、応に諸仏・菩薩形像の前に在りて、胡跪合掌して自誓受戒す。応に是の如く言うべし、「我某甲、十方仏及び大地の菩薩等に白す、我れ一切の菩薩戒を学ばんとす」なるは、是れ下品の戒なり。
    『菩薩瓔珞本業経』下巻「大衆受学品第七」


上記の通り、やはり「自誓受戒」について書かれてはいるが、その結果、菩薩戒を学ぼうという志は明確だが、比丘・比丘尼になるとは書かれていない。

そうなると、最初に引用した通り、『占察経』で何とかなると考えるのも頷けるし、もちろん、それで甘えてはならないと思っただろうから、舎人親王による戒師招聘プロジェクトが精力的に展開されたのだろう。

そういえば、鑑真和上が来日して授戒をしようとした際に、日本の僧侶たちが『占察経』をめぐって自分たちの既得権を主張した話は『延暦僧録』に収録されているものらしい。まだ同書を確認出来ていないので、また確認出来たら記事にしてみたい。なお、日本の僧侶たちに対して普照(鑑真和上を連れてきた功労者)は、『瑜伽師地論』を根拠に反論したらしい。その辺の詳細も次の記事で見ておきたい。

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