さて、最初に紹介した鴻盟社版が「縮刷」で発刊されるに到ったのは、明治時代のことであり、大内青巒居士の編集が大きいとされている(現在鴻盟社より刊行されているのは、この明治期の改訂再刊本であり、昭和27年の道元禅師700回大遠忌を記念した事業であった。当方の手元には明治18年に発刊された初版本もあるが、現行本と初版本の決定的な違いは、初版本には当時未発見であった「一百八法明門」巻が入っていない)。それで、刊行されたは良いが、更にそれを売るための広告宣伝がなされるに到った。それが以下の文章である。
高祖承陽大師御親撰○永平寺御蔵版
正法眼蔵 全部〈九十五帖・四帙廿冊〉縮刷一冊
○定価金一円七拾銭○特別減価金九拾銭
右は越本山旧来の御蔵版巻帙麁大にして且つ価格も金五円以上なるか為に御一派の僧俗は必らす一部を拝蔵すへき宝典なるにも拘はらす遂に拝請し得さる者多きを歎かせられ前貫首円応道鑑禅師の命に依て訂正縮刷せられたる者なり 弊社幸ひに其製本御用を命せられたるに依り今般扶宗会員諸大徳に限り前記特別減価を以て発売する者なり 外教徒の如きは如何なる人にても一部のバイブルを所有して教会の日には必らす之を懐中せさるは無し 今此縮刷の正法眼蔵は僅に一冊にまとまりて懐中に便なる者なれは一宗の僧俗常に之を懐中して或は自ら拝読し或ハ他に就て質問等をなすの風習を養成したき者ならすや 是れ本社の非常減価を以て之を発売する所以なり
『曹洞扶宗会雑誌』第1号(明治21年1月29日刊行)所載「鴻盟社」広告
文字等は若干の変更をしているけれども、基本は広告の掲載文に従って翻刻した。濁点や句読点が無い文章であるため読みにくいが、句点の代わりに一字あけを用いている。それでご理解を願いたい。なお、この広告文は、かなり興味深い内容である。「縮刷版」を敢えて刊行した理由も、ここから理解出来るといえよう。
ということで、ここでいわれている内容を簡単にまとめてみたい。まず、越本山というのは越前国(現在の福井県東部)に所在した永平寺のことで、当時はこのような表記も行われていた。参考までに、能登国(現在の石川県北部)に所在した總持寺のことは能本山とも書いた。そして、旧来の御蔵版というのは、永平寺50世・玄透即中禅師とその会下の僧達によって永平寺から刊行された、いわゆる『本山版正法眼蔵』のことである。こちらも昭和頃の再刊本が手元にあるが、本文だけで全20冊に及び、それらが4つの帙に入るという大著であった。よって、「麁大」という表記がなされた。しかも、和綴本で高価でもあった。
鴻盟社の広告では、本来、曹洞宗の出家・在家問わずに、必ず一部ずつ持つべき宝典であったが、先の事情により契わなかったので、円応道鑑禅師(大本山永平寺62世・青蔭雪鴻禅師)の命により、鴻盟社が縮刷版を刊行したとある。そして、同会、つまり曹洞扶宗会員には減価(割引)販売をすると明記しているのである。
そして、面白い喩えだと思ったのが、「外教徒の如き」の下りである。要するにこれはキリスト教徒のことである。その者達は、誰しもが必ず、一部の『バイブル(聖書)』を持っていて、教会の日(日曜日)にはそれを懐中して持参していた、としている。もちろん、それと同様に、曹洞宗の出家・在家であれば、縮刷して一冊にまとまった『正法眼蔵』を懐中に入れて、学ぶべきだということになる。その目的だが、キリスト教の日曜ミサというわけにもいかないようで、その点は「拝読」「質問等をなす」と表記されている。ただ、その「風習を養成したき」という願望には共感できる。
現代の我々についても、この部分だけは広告に乗っかっても良いと思う。つまり、「皆で『正法眼蔵』を読み、議論しよう」といっているわけである。議論については、宗教的なそれになりがちで、だとするとすぐに正邪・真偽を問うことになるかもしれないから、実効は無いかもしれない。だが、それは些末で、必ず真摯に学ぼうという人も出てくることだろう。それを期待すれば、この広告の通りである。そして、当時のこの気運が、後の岩波文庫本『正法眼蔵』(3冊本の時代の校訂者は衛藤即応先生、現行の4冊本は水野弥穂子先生。衛藤先生の時代は本山版を底本にしている)刊行という流れになったのだろう、とか感じ入った次第である。
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