つらつら日暮らし

或る天台僧が示した授戒の偈

中世室町期に後花園天皇に授戒した天台宗の鎮増和尚が詠まれた偈頌を紹介したい。

生死の大海を渡り、無生の彼岸に到る、木叉を以て船筏と為し、
無明の迷闇を除き、仏果の智見を開き、戒光を以て伝灯と為す。
    『円頓戒要義』


なお、後花園天皇の受戒は、宝徳2年(1450)12月だと伝わるので、この文献もまた、中世の天台宗の戒観を知る手掛かりということか。調べてみると、鎮増和尚とは、元々京都白川に所在した天台宗寺院・元応寺にいて、寺内には戒壇もあったという。また、独自の戒灌頂という作法も行っていたようだが、当方、勉強不足でこれ以上、この辺は深めることが出来ない。そういえば、この元応寺だが、応仁の乱に於いて伽藍を焼失して衰退し、16世紀後半には現在、滋賀県大津市にある聖衆来迎寺(天台宗)に吸収されてしまったという。

さて、経緯は以上のような感じだが、今回見たところ、『円頓戒要義』は比較的容易に読むことが出来たので、その感想を記事にしよう、という話である。まず、上記に引用した文章は、生死の大海を渡り、二度と生まれ変わることのない彼岸に到るには、波羅提木叉(戒)を船のように用い、無明の迷いの闇を除き、仏果の智見を開くには、戒の光をもって伝灯とするのである、と出来よう。

戒の功徳を示す言葉としては、大変に分かりやすい。

それから、『円頓戒要義』を読んでいて気になったのは、以下の一節である。

凡そ御受戒と申候は、山家大師の釈には、「一乗の円戒は桓武弘仁の御願なり、海内の緇素誰か信受せざらむや、梵網の大戒は千仏の相伝なり、天下の貴賤何ぞ尊行せざらむや」と釈されて候。如来在世、霊山説法華の儀式を、受戒の戒場に移して、授け奉る事に候。
    『円頓戒要義』


これは、本書の冒頭部分である。要するに、円頓戒の意義や、その思想的な根拠などを述べている。ここで引用されている「山家大師の釈」は何なのか、色々と調べたが良く分からなかった。山家大師とは、伝教大師最澄のことだと思うので、『伝教大師全集』なども、色々と見てみたが、良く分からなかった。

よって、典拠は不明なるも、意味だけは採っておきたい。

およそ、御受戒というものは、山家大師が解釈されたように、「一乗の円戒を広く授けることは、桓武天皇が弘仁年間に建てられた御願いである。日本の出家も在家も、それを信受しないことがあろうか。『梵網経』で説かれた菩薩大戒は、千仏が相伝されたものであり、天下の様々な立場の人がどうしてそれを尊行しないことがあろうか」、と仰った通りである。釈迦如来の在世に、霊鷲山で『法華経』を説いた儀式を、受戒の戒場に移し、授けられたものである、とでも理解出来ようか。

要するに、『梵網経』について、『法華経』に依拠して解釈したものであった。

さて円頓戒と申候事は、宗々の祖師も、梵網経に釈を作り候程の人師は、皆大方の義をば存知候へども、別して山門相承の円頓戒と申候は、諸宗に沙汰し候はぬ一向大乗の円頓の戒法即身成仏の直道、一戒光明金剛宝戒の戒体にて候。同じく一代の尊師、法華の教主ながら、多宝塔中の釈迦を第一の戒師と定め、諸仏出世の本懐、衆生成仏の枢鍵たる法華経を正依の経と定め候事で候。
    『円頓戒要義』


こちらが、円頓戒の意義を、非常に分かりやすく説いたものである。大事なのは、一向大乗の円頓の戒法であり、即身成仏の直道であり、一戒光明金剛宝戒の戒体であるという。戒法・戒体が具わり、また、直道とあるから、まさに「円頓」である。しかも、『法華経』の教主として、多宝塔中の釈迦を第一の戒師とするので、結果、『法華経』に依拠するのではあるが、内容は『梵網経』になるのである。

伝教大師の教えを虚心坦懐に見ると、ここまで『法華経』に戒を依拠することは無いと思うのだが、後には『法華経』を中心に戒を整えた日本天台宗の様子が見られる印象である。こうなると、天台宗でも導入した真言密教との関わりが気になるのだが、こちらは意外と、そこまででもないという先行研究があった。当方、まだ真言宗系の戒は理解出来ていないので、もう少し学んでみたいと思う。

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