つらつら日暮らし

『緇門警訓』に見る「仏制としての戒」の説示

ちょっと気になる文脈があったので、学んでみたい。

  戒、唯だ仏制するのみ余人に通ぜず
 行宗云わく、大千界の内、仏を法王と為す。律は是れ仏勅なり、唯だ聖制のみ立す。自余の下位は但だ依承すべし。
 良に以れば如来は行果極円にして、衆生、軽重の業性を究尽す。等覚已下、猶お堪る所に非ず。況んや余の小聖をや。輒ち敢て擬議せんや。国家の賞罰号令の如くなること有るは、必ず王より出づ。臣下、僭越すれば、庶人、信を失す。亡敗すれば日無し。仏法も亦た爾り。若し他の説を容れれば群生奉らず。法、久住せざる故なり。
    『緇門警訓』巻3、版本に従って訓読


要するに、戒とは仏陀が定めたものだが、他の人が定めることは出来ない、という趣旨の文章である。まず、行宗とは、律宗系の文献に見える名前だが、律宗僧の祖師の一人か。それが、大千界の内、仏を法王とし、律は仏の勅命であるという。よって、他の下位の存在は、ただ承るしか無いというのである。

理由について、如来とは、悟りが円かであるが、衆生とは軽重の業を尽くすのみであり、菩薩の修行階梯では窮まったように思う等覚であっても、如来の立場ではない。つまりは、戒を定めることは無いということである。

これについて、国家に於ける賞罰や号令をもって喩えとしている。国のそれは、王制の社会に於いては王より出るもので、臣下が僭越すれば、民からの信を失うという。このように、仏法も律も、仏陀より出たからこそ信頼できるというのである。

それにしても、これは王制が一般的な社会でこそ通じる教えである。よって、例えば、民主主義で、信教の自由が保障された社会に於いては、この辺はどう理解されるべきなのだろうか?それから、禅宗などでは、諸律を博約折中して清規を定めているけれども、これもどう理解されるべきだろうか。

個人的には、「律蔵」を見ていると、意外と民主的な定め方をしているのではないかと思える箇所もある。つまり、声聞戒の場合、世尊が自ら全てを決めたというより、僧団内の問題を申告してきた者の意見を良く聞いて、その上で、対応しているように見えるためである。その結果が二百五十戒だったりするわけで、むしろ、菩薩戒の方が「王の如き仏陀による制戒」という風にも見える。

その点を踏まえて、禅宗の様子を考えると、その時々の祖師が、社会の様子に対応しつつ博約折中しているように見えるので、これも、実は世尊が声聞戒を定めたときの様子に逆戻りしている要素もあるように思える。そして、これをこう思えないのは、釈尊や経律論の三蔵をただの権威としてのみ見る者である。権威との対話は不可能である。だが、そもそもの経律は対話の上に成立している。その齟齬を、権威主義者や教条主義者は解除できないのである。

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