そこで、タイトルの件だが、以下の一節が見られる。
○法名を戒名と称するは、蓋し説あり。夫れ戒名とは元是受戒の上の称にして、受戒せざる者には允当せざるに似たれども、然も翻迷還本の義を表し、且は釈門の規則として必ず三帰戒を授与せる上は、固より戒名と称して可なり。然れども他の霊名に向ては、法名法号等と称すべきなり。
『法名義弁』1丁表~裏、カナをかなにするなど見易く改める
本書としては、法名と戒名との違いを、それほど余り持たせていない。どうしても受戒についてそれほど重視しない宗派では、戒名という名称を否定し、法名という名称を中心に考えがちだが、本書では、戒名が受戒の上での呼称だとしつつ、仏門では「三帰戒」を基本としているので、全て「法名」は「戒名」だとしている。
なお、末尾の「他の霊名に向ては、法名法号等と称すべきなり」については、よく分からない。ただし、本書の全体の態度からすれば、「戒名」よりは「法名」を採り上げているので、本書のタイトルも『法名義弁』だったわけである。ところで、本書では「道号戒名」という名称を用いている。しかも、これは「禅宗」が日本に伝えたという。なので、この著者には、禅宗が「戒名」の呼び方を多く用いていた、と考えたのかもしれない。
そういえば、記事に広がりが無かったので、面白い指摘を見ておきたい。
○法名の字音往古より漢呉混唱する尠からず。
前掲同著・8丁裏
これは何をいっているかというと、法名の読み方について、漢音と呉音が混在していることを指摘している。例えば、鎌倉時代初期の解脱房貞慶上人を例にすると、一般的に「じょうけい」と読まれていると思うが、仏教で用いる「呉音」だと「ていきょう」になるという。このような事例は枚挙に暇がないという。よって、或る程度、読み慣わした呼称を重視するということなのだろう。
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