ということで、懲りずに行きたいと思うのですが、その西田幾多郎博士は京都府立第一中学校編纂の『読書の栞』(1916年)という、なんでしょうかね?今風で言うと各学校で発行している「図書便り」みたいなやつでしょうか?とにかくそれに寄稿した、その名も「読書」(新編『西田幾多郎全集』第11巻、所収)という一文があります。今回はそれを参考にしながら、読書法について若干考えてみたいと思います。
西田博士の読書法については、当ブログでは【読書法について】で採り上げたのですが、それは随筆集である「「続思索と体験」以後」に収録されているもので、『改造』第20号(1938年)に寄稿されたものです。そこで、今回は同じような文章ではありますが、西田博士の読書法についてやや異なるアプローチをしてみようと思います。
そもそも、今回の文章は中学校(今の高校かな?)に相当する学生向けに書かれたものですので、ただ読書の哲学的意味を書いたわけではなく、むしろ一教育者の観点から「読書」の重要性について書かれているのが特徴となっています。そうしますと、自らの精神的成長に如何に関与してくるかが問題となってくるわけですが、西田博士はその点を冒頭以下のように示されます。
身体の成長には食物の欠くべからざる如く、精神の発達には精神の食物ともいふべき読書を廃してはならぬ。我々は幼より老に至るまで、一日も精神の向上的発展を忘れてはならぬ様に、読書は単に在学の時代のみならず、終生之を怠つてはならぬと思う、学校を出でたる後でも、読書を廃するものは思想固定し、時代の進歩に伴ふことができず、身体は尚健全であつても、早く時代遅れの老朽として、社会から捨てられるようにならねばならぬ。
前掲同著、107頁
まぁ、本当に老朽化した方相手の話としては、かなり酷な内容ですけれども、これから社会に出て行こうとする若い学生相手に、やや脅しをかけるという点に於いては十分すぎる機能を果たしたことでしょう。また、特に西田博士は自ら思索の人でありましたけれども、当時西洋でも「生の哲学」なんて言う新たな思考法が出てきたところで、そうした世界の潮流を見るに付け、一言言わずにおれなかったのでしょう。「思想固定」という言葉、以前【嫌いな言葉(9)】でも書いたことですが、たまに普遍性という言葉によって肯定されることもあるのですけれども、固有の思考とはそれ自体歴史的に証明されていくものも多く、歴史的に証明されていく以上、普遍性と固定性とは若干領域を異としているように思われます。普遍性は普遍性であるが故に、良くその姿を変じて我々の前に現れます。固定性は何も変わりようがないわけで、一種の教条主義的な思考になっていることが拝察されます。それを避けるには新しい情報を入れるしかないという話でございます。
それでは、そのように有用な読書とは、一体どんな機能だということになるのでしょうか?西田博士は幾つか規定しております。
・明示の元勲の中でも比較的長く時勢に伴ふことのできた人は読書の趣味のあつた人であると思ふ。(107頁)
・多くの人は読書は単に知識を得るに過ぎぬとのみ思ふが、真摯なる読書は、読書其事が意志を鍛錬し、人物と作るに益があると思ふ。(107頁)
ということで、先にも触れましたが、良く時代の情勢を探り、また知識を得るだけではなくて、意志そのものを鍛える役目をするということです。前者には、多分に温故知新的な、現状について常にあたふたすることをせずに、何故こうなっているのかを過去の事例に当てはめて、また実際に時代を作るのは人でありますが、その人の機知を探るのに読書は有効であるといえます。そして、読書が意志を鍛錬する理由としては、難解な書を読むことで、その内容を理解せんと思考していくわけですが、そこでは自らの思考が持続しなければならないということがあります。その持続を手助けするのに、難解な文章・書は有効であるのでしょう。
【読書-やって良いこと悪いこと】
そこで、西田博士は読書に於いてやって良いことと悪いことを、的確に指示します。あくまでこの文章が当時の中学生に向けて説かれたということは、ハウツー的内容になるのも当然でありましょう。まずは良いことです。
・余の考では、書を読むには、自分に少し難解の書を読む方がよいと思ふ、我々が峻阪に攀登る如き考にて難解の書を読む方がよいと思ふ。無理難解をいつても、己の力に相応ぜない難解の書を読むのは何らの益もないのは言ふまでもないが、自分が独りで能く考へて分り得る位の程度に於て、難解の書をよまねばならぬ。(108頁、傍線拙僧)
・最も良い書を精読せねばならぬ、幾度も繰り返して精しく考えて読まねばならぬ、兎毛程も曖昧の所がない様に分からうと思わねばならぬ。自分が一通り分かつて居ると思つても、その上、その上と疑つて見なければならぬ、斯くして疑問は影の如く自分に従ふ様になる、精読といふのは疑ふことである。(108頁)
・余は先づ何といつても、古典的なものを読まねばならぬと思ふ。東洋の書であつても、西洋の書であつても、古典的のものを読まねばならぬと思ふ。(108頁)
最初の文の傍線部分を見たときに拙僧が思い出したのは、いつもお世話になっている東洋大学・河本英夫先生の本に書かれていた一節である「学的反省は、それじたいを単に学問として仕上げるのではなく、その場しのぎに時代に迎合するのでもなく、なお時代の境界に位置することを自らの課題にしたい」(『諸科学の解体』12頁)というものなのですが、この「時代の境界に位置する」ことこそ、「難解の書」に挑む意義であると言えましょう。数百年後になってようやく誰でも分かるような知を探るのも良いのかもしれませんが、それでは空想夢想と同じであると同時代人から評価されることになります。それは、あまり意味がありません。したがって、そうではなく時代そのものの先端に行き、そこから超えようとする努力を怠らないこと、これこそ強靱なる思考と言うべきでありましょう。超えるには、常に自らの知見を疑問視し否定し、そして新たなる道筋に進んでいくことが肝心なのであります。その意味で、やはり強靱な思考は強靱な土台が無くてはならず、西田博士は土台を「古典的」と仰るわけです。
また、西田博士は悪いこととして以下のような読書を挙げます。
・何時でも粥の様なものばかり食つて居る人は却つて胃弱に陥る様に、何時も易い書のみ読んで居る人は思考力を弱くすると思ふ、当今の雑誌や小説ばかり読んで居るものは皆脳弱に罹つて居ると思ふ。(108頁)
・余の経験によれば、自ら分かつて居るとか、出来るとかいふ学生に限って、その実分かつて居らず出来もせぬものが多いのである。これはつまり精しく深い反省が足らないのである。(108頁)
・此頃の学生の如くに雑誌や小説ばかり読むのは、間食と同じく、害あつて益がないと思う。無益の書を多読するのは却つて思考力を乱すものである。(108頁)
多少、腹に入るものは強いものでないと腹が緊張感を失いかねないと言うことでありましょう。同じように、思考力も強いものではないと緊張感を失って、同じような過程だけを延々と繰り返すことになりかねないのであります。要するに、新たなる知見に進んでいくのは、現実の肯定が必要なのではなくて、現実への疑問・否定が必要なのですが、既に在ったことのみをただ追認していく趣の、雑誌や小説が否定されるのは、或る意味で当然なのであります。間食や一種の清涼剤の様なことにはなるかもしれませんが、本当の意味で智慧や経験の拡大ということに至ることはないのです。そして、拙僧がドキッとしたのは、この真ん中の説示、「分かったとか出来たとか誇ろうとする学生の態度」そのものでありましょう。先に挙げた「疑問は影の如く自分に従う」という事態と相反する好事例でありますので、注意せねばなりません。
【結論に代えて】
我々の読書は、我々の知見を増やすだけではなく、知見の全面的改変までをも含め、広大深遠なる領野への開けをもたらすものですが、しかし、何を読めばそのような経験に入れるのかは、本人には決めがたいものがあります。そこで、西田博士は最後に以下の様に指摘されるのです。やはり、仏道を学ぶときにも、正師・勝友の存在は欠かせませんが、読書の時も同じようです。いや、学びということ自体が正師・勝友を必要としているのです。
人の天賦の各ゝ異なつて居るのであるから、主要なる学科に於ける良書を精読する外、尚余裕のある人は、多くの書を広く読破するがよい、又如何なる人であつても始終むつかしい書を読んでいる訳にも行かぬのであるから、慰めの為の書をよむと云うこともよいことである。併しさういふ場合には必ず真面目に先輩に相談するがよい、悪しき書を読むは悪友に交ると同じ害があると思ふ。
前掲同著、109頁
以前の【読書法について】でも申し上げたことと重なってきますが、一つの分野を徹底していてもなかなか見えてこなかった問題への解決法が、別の分野からのアプローチであっさりと超えることもあります。自分の分野が、実は他の分野と底辺でつながっていたなんて事もあります。その意味で、広い分野の書を読破することに意義があります。
また、本当に素晴らしい書というものは、確かに取っつきにくいものでもありますが、非常に役立つものでもありますから、その辺は先輩を善知識にして拝受していくことが肝心でありましょう。ただ一歩でも知見を進めるのは、非常に大変なことですが、そのための読書法を一つ考えてみては如何でしょうか?
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