◎八月 和名を葉月と云、木のはもみぢておつるゆへに、葉落月を略せるよし、奥義抄にかけり。
享保20年版『江府年行事』、三田村鳶魚先生『江戸年中行事』中公文庫、49頁
あれ?「葉月」というのは、葉が生い茂る様子ではなくて、「葉落月」だとされている。なるほど、現代の暦では、盛夏に入った頃だが、とはいえ、今日(令和5年8月5日)という日付を旧暦に位置付け、そこから新暦へと変換すると、9月19日になる。流石に、彼岸会が近付いた時期となって、秋めいてくる様子も理解出来る。
ところで、同じような見解があった。
葉月 此月、蕭殺の気を生じ百卉葉を落す故に葉落月といふを略して葉月とはいふなり
田中犢二郎『俳諧独案内』博文館・明治12年、65頁
先ほどの文献よりも、150年近く後の時代になるが、内容的にはほぼ同じことを述べている。ただ、後者の方が、「蕭殺の気」といった説明がある。しかし、この「蕭殺」という言葉、秋の末の非常にものさびしいさま、であるという。そうなると、果たして9月中・下旬が「秋の末」と言えるかどうか微妙な印象もあるかもしれないが、実際には旧暦だと10月から「冬」になるから、合っていると見て良い。
なお、その上で、敢えて「諸説あります」と言わねばならないのは、この毎月の和名の意義については、意味が分からないのである。例えば、「葉月」についても、調べれば調べるだけ意味が出て来る。
稲穂の發月の意と云、或云、葉落月の意なりと、いかが。
「はづき」項、大槻文彦先生『言海』
この「發月」で「はりづき」と読むらしく、それを略して「はづき」になったとは言うが、意義としては如何か?と思ったため、以下のサイトを確認した。
・6. 出穂と開花(東海農政局)
以上から、8月上旬から出穂のことを示すらしく、おそらくは「稲穂の發」とは出穂のことなので、時期的には問題が無いといえる。こういう風に、先人達も、何らかの説を出すのは、自然現象などを良く見た上でなので、そう大きな間違いなども無い。だからこそ、一件だけすると、合っているように感じてしまうのだが、その確認(いわゆるファクトチェック)などはとても難しいのであった。
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