そもそも、我々が何故本を買うかについては、「中身を読みたいから」ということが、大きな動機として存在し、またそれを詳しく考えてみれば、「読んで学びたいから」という学究の目的にすることもあるだろうし、ただ単純に「楽しいから」という娯楽を目的に購入することもあると思う。つまり、そこには本を読むということが必要である。さりとて、それは中身の文章としての情報だけをテキストデータとして売ってオシマイということがあって良いかといえば、そうとも思えない。正直な話、PC上でのテキストデータの閲覧は検索などには優れているが、何かを分かるように読むという点では、その機能は著しく書籍に劣る。
電子的データとは異なって、印刷メディアは扱うのに特別な知識や機械を必要としない。本は、電源は不必要だし、いきなり閉じても中のデータは失われない(不揮発性)。また印刷物の解像度は、少なくとも現在のコンピュータの表示装置よりはるかにいい。
吉岡洋氏『〈思想〉の現在形』(講談社選書メチエ)66頁
だからこそ、拙僧つらつら鑑みるに「本」を存在として考えてみると、その内容の価値ということもそうだが、本そのものを触って得られる感触、それ自体に価値があるのではないかと思う。現在の文庫や新書で流行っているフィルム張りの表紙はツルツルしているが、昔の岩波文庫は厚紙が表紙なので、どこかざらついた感じ。或いは、いくつかのハードカバーの書籍は、その手触りで内容を思い出すということもあるくらいだ。
この点と、「店」という観点から見てみると、少なくとも現在の「ネット書店」にあっては、この「質」を伝えることはできない。一切を視覚的情報(或いは音声だが、音声の実用化は無理だろう。データ容量の多さが、その目指すことに比べて効率が悪すぎる)に還元するのだが、当然に視覚情報と手で触るという触覚情報とは、全く質のことなるものである。前者にも当然に「視点の移動」ということが必要で、行為ではないと言い切ることは難しいが、少なくとも手で触るというほどに行為と認識とが一体化された事態を得ることはない。そして、手で本を持つときには、湿度や重さといった視覚情報では絶対に得ることができない情報も(無自覚的であっても)得ているのである。一方で「ネット書店」で売っている情報は、書店の店頭に比べて、あまりに局限化されたものだと言わざるを得ない。
同様に、「店」が本来的に「見世」であることを思い出してもらいたい。何はともあれ、「お店」とはお客にとっては「見るための場所」であり、さらに『書物』(岩波文庫)を記した森銑三氏は「己の店には、己の気に入らない書物は列べないという気位のある人があってもよ」い(88頁)とされるように、「見世」側からすれば、その店主の見識の一切を見せる場所でもある。その意味で、ネット書店でも、似たような分野の書籍であるとか、アマゾンのように、特定の本について同じ人が選んだ別の本も同時にリンクすることなどで、極力「見世」としての機能を保持しようと努めているが、結局リンクを張る側に恣意的な欲求が混入する可能性もあり(これは、普通の店でも同様ではあるが)まだまだ機能としては物足りないのである。一瞬で商品を眺めると言うときに、そのスピードはネット書店の方が圧倒的に遅い。。。
ここまで書くと、拙僧がネット書店について絶対的に反対だと思われてしまうので、そうではないということも示しておかねばならないが、ネット書店の大きな役割として、小さな書店ではどうしても本を保管しておくスペースに限りがあるため、ほとんどが店頭に並んでいるものと、一部が倉庫にしまわれる程度だが、ネット書店では直接の売り場が必要ないため、倉庫と売り場という垣根が存在しない。どれほど少ない売れ行きでも、一応「ネット書店」に列べておくことが出来るということが特長である。そして、何かの機会に一気に売れるようなこともあってネット書店(或いは「音楽ダウンロードサービス」など)では、売り上げの相当部分については、一部の売り上げが非常に多い商品を除く何万種類という「それほど売れないはず」の商品が徐々に売れていくという現象が起こり、この売り上げグラフを彗星(或いは蛇)に見立てると、長いしっぽのようになるため「ロングテール現象」と呼ばれる。
そのためか、やはり元から一部の専門書を扱う書店でこそ、ネットビジネスは有効であり、検索とデータによって、普段であれば一部地域に来なければ手に入らなかったような稀書の情報も入手できるようになり、流通経路に乗るようになったわけである。さりとて、ここでおそらく近い内に限界が来るだろうと思うのは、こういった専門書店で扱う専門書は、決して新刊だけに限らないことである。特に、誰しもが特定の研究分野で頭に浮かぶ書籍の場合、古本になっては、繰り返し売られて、そして流通していくものである。ここでは、古書自体の持つ質感も重要な売れる要素に加わっていくため、ネットビジネスのみでは辛かろう。理由は先に挙げた「情報の不足」である。
結果として、拙僧はどこまで行っても、少なくとも現状にあっては書店の完全なる衰滅はあり得ないと考えている。もちろん、各商店街にあったような小規模店の売り上げは厳しく、そもそも書籍販売自体の売り上げが落ちている昨今では、業界全体が曲がり角に来ていることもあるだろうが、さりとてブログにしろ、ネット上の情報にしろ、発信側は何かを読まなければ、自ら創造的に書くことはできない以上は、テキストデータが不要になることはなく、その中でも効率よく情報を収集できるという観点からすれば、本の役割が終わることはない。少なくとも、今くらいパソコンを初めとする情報端末が使いづらい限りは・・・
なお、ネット書店の可能性ということで「Google books」について【kameno先生のブログ】で紹介されているので、ご参照されたい。
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