つらつら日暮らし

「神無月」雑考(3)

今年の「神無月」は、『日本社会事彙』巻下(経済雑誌社・明治23年)から検討してみたい。同文献に、「ツキノトナヘ(月の称呼)」という項目があり、その中に「神無月」についても書かれている。昨日の記事の続きを書いておきたい。

西土に陽月といふ、十月は坤の卦に当りて純陰の月也、陽なきを嫌ふ故に無陽の月なれども、却て陽月といへり(両朝時令日本歳事記)天下の諸神出雲の国に行給ひて、と国には神なきか故に神無月といふ(奥義抄)伊弉冊尊崩し給ふ月なれは、神無月と申なり(世諺問答)四方の木すゑちりすさむ頃なりとて、葉みな月と申人ありと(同上)みえたり、陽月のときは漢にもふるくいひ伝へし所なり、其中陽月を読て神無月カミナツキといひしは、カミノツキといひしことは也と(東雅)いひ、又神嘗月といふ説もあれといつれも信しかたし、西土にて国於是乎蒸嘗、家於是乎嘗祀と(国語)いへるなとにもとづきて、神嘗月といふ義にとりしとみえて、我邦の古へも西土にも神嘗祭は十月なりし事、其証多しと(和訓栞)いひしなり、
    『日本社会事彙』巻下、838頁


いわゆる陰陽説の話だが、そのまえに「西土」の話が出ている。この場合は、インドのことだろうか?

又た云わく、
 正月・三月、是れ陽月なり。
 二月・四月、是れ陰月なり。
 五月・七月、是れ陽月なり。
 六月・八月、是れ陰月なり。
 九月・十一月、是れ陽月なり。
 十月・臘月、是れ陰月なり。
    天台智顗『金光明経文句』巻6「釈除病品」


中国の説ではあるが、一応、インドのことを説明しているはずなので、この辺が典拠だろうか。この通り、十月は「陰月」であり、それを更に「易」で考えると、「坤」が重なる「純陰」であるという。問題はここからで、純陰だから、陽が無いので、「無陽」だが、何故かそれがかえって「陽月」になるという・・・?!はぁ?

良く分からなかったが、そういう説があるのか。ということで、色々と調べていたら、『日本社会事彙』のこの一節は、屋代弘賢『古今要覧稿』「時令部 巻2」からの引用(かなりの略述)だと分かった。まぁ、来年辺り、改めて『古今要覧稿』を検討すべきなのかも。

それから、例の如く出雲大社の話が出ているが、これは本当に批判が多い説である。転ずれば、それくらい有名なのだろうけれども、江戸時代の学究肌の人達が探しても典拠が無いので、否定されるに到った。もちろん、拙ブログでも採用していない。

興味深いのは、その後の「伊弉冊尊(イザナミ)」が亡くなった月だという話と、木々の葉っぱが落ちて「葉みな月」とのことである。後者は、「月」が「尽き」の転用だという話で、良くあることなのだが、ここではその評価は論じられていない。それから、前者だが、いわゆる火の神「カグツチ」を生んだ時の話だと思うが、『日本書紀』にはこの場面、複数の文献を引用するかのように検討しているが、「十月」との関連性は不明。

「神嘗月」については、既に論じたところなので割愛する。ということで、諸説紛々とはこのことだと思いつつ、また次回の記事にしておきたい。

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