つらつら日暮らし

死後の行き先知りたいですか?

最近では、ようやくテレビで見なくなったけど、某細○数子先生は、テレビで良く「あなた、地獄に堕ちるわよ」と視聴者や共演者を脅迫していたな、なんて、今さらながらに戦慄します。そうすると、結構、日本の仏教では似たような文脈を使っている場合があって、ちょっと困ったりするのですが、せいぜい鈴木正三並みに、自然に使うべきだ、なんて思いますね。どういう使い方か、その教えを見ていきましょう。

 お師匠さまが語っていわれるには「この前、三河国(現在の愛知県東部)で、或るお婆さんが、去る長老に質問した『私が死んだ後は、どこに行ってしまうのでしょうか』と。その長老は、ピタッと答えに詰まってしまった。笑止千万のことではないか。今時の長老達は、おおかたこのようなことであっても言うことが出来ない人ばかりのようだ。これは、法の心得方が大いに誤っているからなのだ」と。
 そして、お師匠さまが自ら代わって言われるには「自分が好きなところに行くのだ。地獄にも天堂にも、自分の心が引いて行ってくれるのだよ」と。
    『驢鞍橋』中-71


この最後に触れられていることを誤解して、「であれば、何をしても好きなところに行ける」と考えると大いに誤ります。この「好きなところ」とは、因果によって定められた「自分が好きな場所」なので、例えば、殺人事件を好きで行った者は、それが報いて地獄に行くでしょうし、人助けが好きで行っていた者は、それが報いて天堂に行くでしょう。しかしながら、それは生前「好きだったこと」が、そのまま働くだけであって、或る意味、生前からずっと「好きなモノは一緒」であると考えられるわけです。

それまでの生前に、散々悪行三昧して、最後にもまた、自分の希望を述べるとは、それはただ罪一等を重ねたことになります。むしろ、それまでの悪行を悔い、心から懺悔すれば、まだ最悪の状況にならず、多少は救われることになるでしょう。正三のいう「自分の心が引いて行ってくれる」とは、上記のように理解しなければなりません。決して、甘い言葉を掛けていてくれるのではないのです。

仏教は道徳ではない、或いはどこまでも許しを与えるものだ、という人がいます。それはそれで間違いではないと思います。しかしながら、やはり、道徳を説き、善悪を弁じる必要もあるでしょう。また、仏教徒である自覚を持ち、自ら衆生の範として生きるべきでありましょう。イデオロギーにまみれた「正義」を振りかざし、誤った生き方をしている者を独断して、攻撃する必要はないのです。ただ、良識に照らして、どう考えても間違っていそうなことについては、「それは違うよ」と言ってあげる必要がありますし、そのような指摘を受けたら心から反省すべきなのです。それが出来ないと「あなた地獄に・・・」って、結局細○先生と同じか???

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コメント一覧

tenjin95
皆さんコメントありがとうございます。
> ぜん さん

> 仏教が道徳談義になってはいけないと思いますが,それは道徳を説いてはいけないということではないと思います.道徳的生き方は大切だと思っています.

禅宗は、どうしても「反道徳」の方に流れやすいですから、気を付けたいところですね。

> ヨシエ さん

> これを読んで生徒に「私というものがないとしたら生まれ変わるものは何でしょうか」と聞かれて「あなたの悪いクセです」と答えた故チョギアム・トランパ(Chogyam Trungpa)を思い出しました。

まぁ、それをそうだと「知っているだけ」なのか、それがそのように「明らかに見える」のかで、実際の世界との関わりも違うでしょうからね。クセというのも、なかなか意味深な表現ですね。
ヨシエ
これを読んで生徒に「私というものがないとしたら生まれ変わるものは何でしょうか」と聞かれて
「あなたの悪いクセです」と答えた故チョギアム・トランパ(Chogyam Trungpa)を思い出しました。
ぜん
こんばんは
http://blog.goo.ne.jp/zen-en/
仏教が道徳談義になってはいけないと思いますが,それは道徳を説いてはいけないということではないと思います.
道徳的生き方は大切だと思っています.
tenjin95
皆さんコメントありがとうございます。
> 真山 さん

> お盆が近づくこの時期になりますと、ご先祖さまの供養ということが各お寺さんなどで、行われると思いますが、子供たちに「ご先祖様はどこにいるの?」と聞かれた場合、どう答えたものかと迷っておりました。

なるほど、拙僧などはお墓と仏壇、両方にいると答えますね。「どっち?」とか聞かれると、いつもはお墓で、仏壇はその通信装置、そしてお盆やお彼岸は、仏壇に帰ってくる、的答えをします。

> まあ、天国というか、仏様の浄土などというべきか・・・いろいろ迷っておりましたが、この記事はそのよい参考になりました。

そうですか、ご参考になったのなら幸いです。

> 叢林@Net さん

> 今さらながら......暑中お見舞い申し上げます

ホント、毎日お暑いですね。

> 『正法眼蔵』「大修行」巻と「深信因果」巻の更なる読み直しを計ろうと思いました

「百丈野狐」ですね。
叢林@Net
助化師さま
http://blog.goo.ne.jp/sorin-net
今さらながら......暑中お見舞い申し上げます

> 仏教は道徳ではない、或いはどこまでも許しを与えるものだ、という人がいます。それはそれで間違いではないと思います。しかしながら、やはり、道徳を説き、善悪を弁じる必要もあるでしょう。また、仏教徒である自覚を持ち、自ら衆生の範として生きるべきでありましょう。

『正法眼蔵』「大修行」巻と「深信因果」巻の更なる読み直しを計ろうと思いました
真山
ご先祖さまの居場所
http://zuirushinzan.livedoor.biz/
管理人和尚さま
お盆が近づくこの時期になりますと、ご先祖さまの供養ということが各お寺さんなどで、行われると思いますが、子供たちに「ご先祖様はどこにいるの?」と聞かれた場合、どう答えたものかと迷っておりました。
まあ、天国というか、仏様の浄土などというべきか・・・いろいろ迷っておりましたが、この記事はそのよい参考になりました。
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