つらつら日暮らし

今日は「端午の節句」(令和6年度版)

さて、端午と言えば、古来から禅宗でも重要な日であり、道元禅師も端午に因む行持を行われた。

この日に行持を行う理由は、中国の風習に由来する。そして、五月の端(はじめ)の五日、つまり五月夏至の端(はじまり)の意味を持ち、端午の称は午月午日午時の三午が端正に揃うことに因む。このように五月五日を端午と明らかに称するようになるのは唐代以後のこととされ、宋代以後には「天中節」とも呼称された。これは、五月五日の五時が天の中央にあたることと、この日の月日時の全てが数字の“一三五七九”の天数(奇数)の中央である“五”にあたることから、天中節と称する。

端午には廳香・沈香・丁子などを錦の袋に入れ、蓬・菖蒲などを結び、五色の糸を垂らさせた「薬縷(薬玉)」を作り、柱にかけたり身に付けたりして、邪気を払い長命息災を祈った。また、薬狩と称して薬草を集めることも行われた。道元禅師の上堂では4回ほど端午(天中節)に因んだものがある。それは、永平寺(大仏寺)に移られてからのものばかりだが、以下の通りである。

寛元4年(1246):巻2-169
宝治元年(1247):巻3-242
宝治2年(1248):巻4-261
建長元年(1249):巻4-326(今回紹介)


この内、巻3以降のものは全て中国曹洞宗の宏智正覚(1091~1157)禅師の「天中節の上堂」を受けたものであり、以下の通りである。


 端午の上堂〈宏智、端午上堂に「五月五日」等と。師、前の如く挙し了って、良久して云く〉、
 五月五日、天中節、遍吉・文殊、俗流を儀う。
 拈来す、一茎の丈六草、養得す、潙山の水牯牛。
    『永平広録』巻4-326上堂


建長元年(1249)に行われたと推定される「端午の上堂」に於いて、上記内容のほとんどは、宏智正覚禅師の上堂を本則として挙し、そして自ら詠まれた偈頌を一則付けるという方法で転じておられる。宏智禅師の本則は以下の通りである。

 五月五日、天中節。
 百草頭上に生殺を看る。
 甘草・黄連、自ら苦く甜し。人蔘・附子、寒熱を分かつ。
 薫蕕、昧し難し双垂瓜。滋味、那ぞ瞞ぜん初偃月。
 円明了知、心念閑なり。摩訶迦葉、能く分別す。
 諸禅徳、分別底は、是、意なり。迦葉尊者、久しく意根を滅す。円明了知、心念に由らず。
 且く作麼生、得て恰好去。
 人、平らにして語らず、水、平らにして流れず。
    『宏智禅師広録』巻4「明州天童山覚和尚上堂語録」


本来は、宋版の『宏智録』を見ていきたいところだが、拙ブログはまぁ、そんな厳密な研究をするところでもないから、出典の文脈を確認するのみにしておきたい。道元禅師はこの上堂を、巻3-242上堂で一度採り上げられたため、以下は本則を略して示されている。宏智禅師の上堂の意旨は、5月5日は様々な薬草を集めて「薬玉(薬縷)」を作ることを習わしとしていたが、その「様々な薬草」を題材にしている。つまり、様々な味わいや効能がある薬草は、それとして機能がこの世界に於いて発現している。摩訶迦葉は、そのところを良く分別しており、その分別は、我々の意識がその機能を持っていた。ところが、摩訶迦葉は自らその意を断じて鶏足山に籠もって、弥勒菩薩を待つようになった。そして、その時にこそ、円満なる智慧が具足している。

宏智禅師は、そのような平等なる智慧を得れば、何も語ることはないとされる。認識論的な差異化の機能と言語的な差異とが近いことを、西洋哲学の解明を待たずに良く理解していた。更に、水も高さに上下がない場所では流れることはない。ただそれとしてある。

さて、道元禅師はこの一則を受けて、更に自らの意を展開された。端午の風習、或いは薬縷の風習とは、元々は世俗の習慣だが、様々な大乗の菩薩はそれを自由自在に用いた。いわば、世俗に入り、そして仏身そのものである「草」をもって、潙山が転生した後の水牛を養っている。この潙山の牛の話とは、超俗的なる出家から、一転して俗の中に生きる菩薩を目指したものといえ、世俗も超俗も超えて、仏身も仏法も、活き活きとしている様子を示している。3句目の「一茎草を拈ずる」、4句目の「潙山の水牯牛」、ともに「草」に関連している。道元禅師は、薬草の類縁の語を並べられた。当然、この「薬」とは、世俗的な薬効を意味しているのではなく、仏道修行者の迷いを脱するための薬である。そして、この上堂では、薬草を集める文殊と善財の遣り取りが述べられた。

水牯牛というと、まずは南泉普願の話が有名で、南泉は、弟子である趙州が、人は何処に去るのか?と問うたのに対し「山前の檀越家に向かって、一頭の水牯牛と作り去らん」(『真字正法眼蔵』上3則)と答え、潙山霊祐は、「老僧百年の後、山下に向かって一頭の水牯牛と作り、左脇に五字を書して曰く『潙山僧某甲』と」(同前、下209則)と述べたとされる。禅僧は、牛に生まれ変わるという思いがあった。これは牛の生き方に、「無分別」を透かし見たためにいわれるようになった。ただ黙々と草をはむ様子は、一向の弁道に似ている。そして、更に2人とも、山を下りるといっている。ここから無分別の徹底は、俗・超俗の区別も断ち切った。

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