菩薩摩訶薩八万人あり。皆阿耨多羅三藐三菩提に於て退転せず。皆陀羅尼を得、楽説弁才あって、不退転の法輪を転じ、無量百千の諸仏を供養し、諸仏の所に於て衆の徳本を植え、常に諸仏に称歎せらるることを為、慈を以て身を修め、善く仏慧に入り、大智に通達し、彼岸に到り名称普く無量の世界に聞えて、能く無数百千の衆生を度す。
其の名を文殊師利菩薩・観世音菩薩・得大勢菩薩・常精進菩薩・不休息菩薩・宝掌菩薩・薬王菩薩・勇施菩薩・宝月菩薩・月光菩薩・満月菩薩・大力菩薩・無量力菩薩・越三界菩薩・颰陀婆羅菩薩・弥勒菩薩・宝積菩薩・導師菩薩という。是の如き等の菩薩摩訶薩八万人と倶なり。
『妙法蓮華経』「序品第一」
大乗経典の面白さの一つは、この菩薩の数にある。『法華経』のこの一節では、八万人だそうだ。どうやって数えるのか?或いは、会場はどこなのか?とか、そういう付箋を付けながら読むと、とても楽しい。それで、この菩薩たちは、全員、阿耨菩提を得ているそうだ。随分と大安売りだ。しかも、陀羅尼も得ているらしく、優れた仏法の働きを自らのものとしている。その上、弁舌の才もあり、誰も退くことの無い仏法を示し、諸仏を供養し、諸仏のところで徳の本を植えて、諸仏に称賛されているそうだ。この辺からも「供養諸仏」という発想は出て来るな。
また、慈をもって身を修め、よく仏の智慧に入り、智慧に通達し、彼岸に至って、その菩薩の名称は無量の世界に聞こえ、無数の衆生を導いているそうだ。この辺の数字的問題は、かなり適当です。いやまぁ、一言で言えば、無限ってことなんだろうけどね。
それで、ここで彼岸に至るという項目について、どのような方法で?ということになると、とにかく諸仏を供養し、その讃歎を受け、慈をもって身を修めるということが修行になる。その結果、仏の智慧に入り、大智(薩婆若のこと?)に通じる段階で、確かに彼岸に達しているとは判断できる。
そして、彼岸に至っても、菩薩の場合にはそれで終わりにはならない。その後、その名前が無量の世界に聞こえるようになり、多くの衆生を救うのだから、よく以前から聞かされていたような、彼岸に至れば後は衆生救済しない、というのは何かの間違い、或いは、彼岸の位置付けが違うということなのだろう。
しかし、こういう本文を見ていくと、いわゆる「教団」という感じが出ているわけだが、八万人という数については、とりあえずその全員の名前を一度見てみたいものだ。ここには18しか出ていないのだが、ちゃんと残りの79982人分は確保されているのだろうか?その辺、経典制作者に一度聞いてみたい拙僧であった。
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