凡そ七種受戒あり、
一には見諦受戒、
二には善来得戒、
三には三語得戒、
四には三帰受戒、
五には自誓受戒、
六には八法受戒、
七には白四羯磨受戒なり。
七種の中に於いて、
見諦得戒、唯だ五人のみ得て、余は更に得る者無し。
善来得戒、三語、三帰は、仏の在世のみ得て、滅後は得ざる。
自誓、唯だ大迦葉一人のみ得て、更に得る者無し。
八法受戒、唯だ大愛道一人のみ得て、更に得る者無し。
白四羯磨戒、仏の在世に得、滅後にも亦た得る。
『薩婆多毘尼毘婆沙』巻2「七種得戒法」
以下には、それぞれの項目について、簡単な解説などを付して、学びとしておきたい。
一・見諦受戒:これは、四諦の道理を見て戒を受けたことを意味し、「唯だ五人のみ得て」とあるが、いわゆる釈尊の最初の弟子である、「五比丘」を意味している。一部経典には、五比丘の上首である陳如尊者が、その時に具足戒を得たとするものもある。
時に憍陳如、彼の法行を知り、坐より起ちて、仏足を頂礼し、胡跪合掌して、而も仏に白して言わく、「善哉、世尊よ。我れ仏法に入る、世尊我を度して、以て沙門と為し、具足戒を与え、願わくは比丘と作せ」。
爾時、仏、憍陳如に告げて言わく、「善来比丘、我が法中に入り、梵行を行ぜよ。苦辺を尽くすが故に」。
是の時、長老憍陳如、身、即便ち出家し、具足戒を成ず。余の四比丘に、各おの法要を説き、機に随いて教授す。
『仏本行集経』巻34「転妙法輪品下」
上記の『薩婆多毘尼毘婆沙』が、本経典の影響を受けているのかどうか、当方には判断するだけの能力は無いのだが、「見諦受戒」というあり方が、確かに存在したことはここで確認できると思われる。
二・善来得戒だが、これは、阿含部経典等の随所で見られる通り、釈尊が「善来、比丘」と修行者に語りかけることによって、出家し得戒する流れになっている。
三・三語得戒だが、別に「三語受戒」ともいう。ただし、その作法には幾つかの系統があるようで、「三語」について戒本を「三説」すると解釈する文献もあれば、「仏帰依」のみでも「仏と法に帰依」のみでも無く、「仏法僧の三宝帰依」を「三語」とする場合もある。そうなると、「四」との関係もある。
四・三帰受戒だが、仏法僧の三帰依でもって受戒することをいう。これも、釈尊の在世時には存在したとされる。なお、「三・三語得戒」とも関連しており、本書では「七種得戒」だが、「五種」の場合、「三語」と「三帰」を共通することもあるようだ。
五・自誓受戒だが、本書では「大迦葉一人のみ得て」としている。つまりは、摩訶迦葉尊者のみが該当したというが、これは迦葉尊者が仏弟子となった経緯を指しており、「大迦葉、仏の所に来詣して言わく、「仏、是れ我が師なり、我は是れ弟子なり。世尊、伽陀を修し、是れ我が師なり、我は是れ弟子なり」と。是れを自誓受戒と名づく」(『薩婆多毘尼毘婆沙』巻2)ともされている。この一節は、『雑阿含経』巻41などでも見ることが出来るが、「自誓受戒」と表現したのは、律の註釈以降で表現されるようだ。
六・八法受戒だが、本書では「大愛道一人のみ得て」とあるが、この「大愛道」とは釈尊の継母であるマハープラジャーパティーのことである。女性として最初に出家を許され、最初の比丘尼となった。「八法受戒」とは、この大愛道の出家時に、釈尊が「八法(八敬法)」を定めたとする伝承もあることを指す。ただし、「八敬法」は多分に、比丘尼僧伽が比丘僧伽に依存することを示すものであり、現代的な男女平等からすれば、かなり問題がある内容ともされる。よって、その実態は慎重に検討されるべきだが、後代の伝承で上記の通りあることには注目しなくてはならない。
七・白四羯磨受戒だが、これが「仏の在世に得、滅後にも亦た得る」とある通りで、僧伽が新たに比丘を迎える際の授戒作法として確立された。「白四羯磨」とは、司会者に該当する羯磨師が、その場にいる合計10名を超える比丘達に対して、ひとたび議題を発し、その後3回確認されることをいう。具体的には、遮難の尋問を終えた受者に対し、正式に戒を授けて良いかどうかを発議することをいう。
ということで、上記の通り、「七種得戒」について簡単に見てきた。個人的には、「大迦葉の自誓受戒」が気になったが、それはまた別の記事で掘り下げる機会を得てみたい。
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