つらつら日暮らし

そもそも「戒名」という用語はいつから使われたのか?(7)

不定期にアップしている「戒名」関連の記事であるが、これまでは、どの辺から使われていたのか?ということについて、時代や文献の性質などを勘案しつつ論じていたのだが、今日は拙僧の手元にある他宗派の文献を見ておきたい。

今回紹介するのは、修験道の世界で用いられていた上陽花輪山住・寿東役氏尊清著『〈引導増補〉修験無常用集』(上下2巻、寛延元年〔1748〕版)である。これは、「殯葬有礼契祖典」という別名が記されているように、民間での葬儀の際に用いられたものであり、江戸時代中期の修験道の葬儀の様子を伝える文献である。

そこで、本書下巻には、「第一阿字門回向之部」が収録されていて、これは葬儀の場で唱える回向文のことを指している。季節や、葬儀で送られる者の立場などによって、少しずつ回向文の文言が変わる様子が分かる。そこで、拙僧がこの不定期連載で問題にしている「戒名」表記なのだが、収録されている回向文の内、「信男の文」「信女の文」に於いて見ることが出来る。

・爰に新帰真〈戒名〉……「信男の文」、本書下巻10丁表
・是に於いて新円寂〈戒名〉……「信女の文」、同11頁表


このようにあって、「信男・信女」という立場の人に対してのみ、「戒名」という表記がなされている。これは、例えば修行が進み、修験道の世界でも重い立場になられている人であれば、以下のように記される。

・爰に新円寂〈某官位・名字、其の年数を入れるなり〉……「通途の文なり」、同1丁表

実際に、本書には具体的な名前として、「新帰峯大僧都芳山房法印英林」(同3丁表)のように表記され、官位や名前などが用いられていることが分かる。

そこで、先ほど見た「信男・信女」の件なのだが、「戒名」とわざわざ表記することの意味について、実は同じように世間に生きていながら、ここまでの扱いを受けていない場合も収録され、それを「未修行の文」とあり、そこでは「新帰寂秀山優婆塞」とある。これは、男性の信者であったとは思うが、ただ「優婆塞」とあるのみで、先ほどの「信男」といった位階とは別の表記がされている。また、本書上巻には、位牌の書式についての指南もあるのだが、それを見ると、「鑁字 〈実名〉優婆塞 覚霊」〈本書上巻23丁裏〉とあって、実名と優婆塞表記が見られる。おそらくこれは、先に見る「未修行の文」に該当する。

そうなると、「信男・信女」に於いて「戒名」とあることが不可解なのだが、他宗派などで授戒をしていて、戒名を持っている人の対応策だったのだろうと思われる。これは、各地での葬儀に、修験道者が関わる場合が多く、そのために用いられた便法だったのではないかと思っているが、自信は無い。

ただし、1748年の段階で、儀礼的に「戒名」の語句が用いられていることと、それがための供養法などが構築されていたことなどが理解出来たことが大きいといえよう。

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