令和5年2023年は「癸卯(みずのと・う)」の「新春」でございます。
何故、「新春」と表現するかといえば、旧暦では、1~3月が春の季節でしたので、元旦は、同時に新たな「春」の幕開けでもあったのです。今は、立春の時期が2月頭にずれてしまいましたので、言葉だけが残った格好です。
旧年中は、拙ブログ「つらつら日暮らし」、及び、「つらつら日暮らしWiki〈禅・仏教関連用語集〉」をご愛顧いただきましてありがとうございました。
拙ブログとしては、新型コロナ禍の中、毎日の職務も色々とありましたが、何とか1年間、運営できましたことは、ひとえに読者の皆様のおかげでございます。そして、御礼を申し上げながら恐縮ではございますが、本年もよろしくお願いいたします。
さて、新年に当たり、やはり禅門として学ぶべき説法を見ておきたいと思います。
元旦の上堂。
禅、意想に非ず、意を立てれば宗に乖く。道、功勲を絶して、功を建てれば旨を失す。
新年の消息、繊塵を動ぜずして、節に応じて祐を納む、慶に宜ならざること無し。
若し仏法の商量を作せば、鐘を喚びて甕と作す。
若し世諦の流布を作せば、平地に喫交す。
大衆、還た委悉するや。
孟春猶お寒く、帰堂して喫茶せよ。
『聖一国師語録』巻1
これは、日本臨済宗の聖一国師円爾禅師(1202~80)の説法となります。「元旦の上堂」とある通り、分かりやすいですね。
意味ですが、禅とは、心で想うことでは無く、心を立てれば、悟りに背くという。また、その道は功勲を絶し、功を立てれば旨を失うという。
新年のありようとは、一切の塵も動かさずに、ただ幸いを納め、幸いでないことはない。
もし、仏法とは何かと考えれば、鐘を瓶と呼ぶようなものであり、更には、世間の法を流布すれば、平地に交わる。
修行僧諸君は、これを詳しく得ただろうか。春となってもまだ寒い、僧堂に帰って喫茶するが良い、という位の意味です。
そして、末尾ではございますが、禅僧の常として、「大吉」の語をもって新年をお祝いいたしたく存じます。
正旦の上堂。
今朝、正月初一たり。一たび上上の大吉を挙せば、吉、利ならざること無し。春風、和気し、散じて花梢に入る。
百草頭の塵塵、刹刹、風流を転ず。
天童如浄禅師『如浄録』
天童如浄禅師もこのように、新年の大吉を採り上げておられます。その吉が春風と和気し、木々の梢に入り、あらゆる草が皆、大吉の仏法を明らかにしているわけです。これもまた、分別を破しつつ、各々の働きを肯定した禅僧の言葉です。当方も同じく、皆さまの歳朝の大吉を祈りたいと思います。合掌
#仏教
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