仏、四月八日に生じて従り、四月八日に家を捨てて出で、四月八日に仏道を得、四月八日に般泥洹す、皆以て仏星の出づる時、此の時、百草華英、樹木繁盛す。仏、已に般泥洹す、天下の光明滅し、十方の諸もろの天神、自ら仏に帰せざる莫れ。
『仏泥洹経』巻下
これは、阿含部系の涅槃経の一である。ここでは、釈尊に因む様々な日付(降誕・出家・成道・涅槃)が、全て「四月八日」であるとされている。よって、このような伝承があったことは、まず確認しておこう。
それで、一応、インド由来の説話仏典の中に、インドで行っていた釈尊降誕会に因む説話が見られるので、見ておきたい。
昔者、三人有り、各爾貧窮なり、但だ行きて樵を売りて業と為す。
時に四月八日、衆の比丘、寺中に於いて像仏に潅す、釈迦文仏の時、亦た其の中に維那と作ること在り。
三人、寺の前を過ぐるに、今日、像を潅するを聞きて、便ち入りて之を視る。三人、各おの共に発意し、等しく一銭を持ちて像の前に著き、各おの心願を祈る。
一人言わく、「我が後世をして財宝に饒せられ、莫復た此の貧に値はしむること莫れ、命終して大富家に生ずること在るを得て、唯だ一子のみ有りて、年、長大に過ぎて仏弟子と作り、常に天上の人中に生ぜんことを」。
一人言わく、「我をして師主と作ることを知らしめ、一切人の病を治し、我をして大いに物を得せしめ、命尽きて耆域の家に生じて、医方を暁知し、病を治して愈しめざること勿れ、亦復た天上の人中に生じて、恒に大富楽ならんことを」。
一人言わく、「我が後世をして長寿にして、短命ならしむること莫れ、後に二十四天上に生じて、寿、六十劫ならんことを」。
仏言わく、爾の三人、各おの一願有り、世世に福の無量を得ん、今、此の三人、皆な我が為に弟子と作り、阿羅漢道を得る。
『雑譬喩経』巻下
ちょっと分かりにくいのだが、この「昔」の時代とは、釈尊の時代よりも、かなり昔の時間、要するに前世とかの話である。その時代に、木材を伐採し、薪を売って暮らしていた3人がいた。すると、或る時の四月八日、寺の前を通ったところ、灌仏会(要するに、降誕会で誕生仏に香湯をかける仏事のこと)をしていたらしい。そして、その3人が参加した。なお、参加した1人は、後に釈尊の会下にて、維那になった者もいたという。
さて、その3人だが、全員経済的には困窮していた。だが、灌仏会のことを聞いて、寺中に入り、発心して各々一銭を持って像の前に立ち、心から願いを発したという。
1人目は、来世以降には財宝に困ること無く、貧乏にならず、大富豪になることを願った。しかし、一子を得たならば、自分は出家して、仏弟子となり、常に天上界に生まれ変わりたいと願った。
2人目は、医者になることを願い、一切の人の病を治し、結果、あらゆる病を根絶し、その後に天上界に生まれ変わり、大いに富楽の人生を歩みたいと願った。
3人目は、来世以降には長生きとなり、やはり天上界に生じて、寿命が長くなりたいと願った。
つまり、この3人とも、経済的困窮を脱して、それぞれに幸せな人生になりたいと願っていた。ただ、仏陀に対して帰依をしていたので、最終的には仏弟子になり、無生に至ることが肝心であった。そのことを、この経典では、「仏言わく」として、釈尊の語りを示し、各々1つの願いがあったこの3人は、その後の生まれ変わりの人生で、無量の福を得たが、釈尊の時代には、全員出家し、阿羅漢道を得たという。
これは、灌仏会の功徳を示した箇所として理解されるべきであろう。明日、ちょうど土曜日でもあるので、是非、灌仏会・花まつりに縁があれば、参加していただきたいと願う。
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