破戒五衰:中阿含経に云く、
一つには財を求めても得ず。
二つには設い耗を得ても散ず。
三つには衆の愛敬せず。
四つには悪名流布す。
五つには死して地獄に入る。
『大正蔵』巻54・273c、江戸期版本を参照して訓読
それで、拙僧が気になったのは、この「破戒」がどの立場に対して言われたものなのか?ということである。不思議に思ったのは、「一」で、「財」のことについて書いてある。だが、比丘は本来、財を得ることを希望しないはずなので、在家か?と思ったわけである。一応、典拠についてもわざわざ『中阿含経』と書いてあるので、簡単に調べてみたが、該当箇所が見付からない・・・
その代わり、『長阿含経』に以下の一節を見出した。
是に於いてか、世尊、即ち座従り起ちて、衣を著け鉢を持し、大衆と与に彼の講堂に詣でて、澡手洗足し、処中に坐す。
時に、諸比丘、左面に在りて坐し、諸もろの清信士、右面に在りて坐す。
爾の時、世尊、諸もろの清信士に告げて曰く、「凡そ人、犯戒すれば、五衰耗有り。何をか謂いて五と為すや。
一つには財を求めても、願う所を遂げず。
二つには設え所得有りても、日に当たりて衰耗す。
三つには所に在りて処に至りても、衆、所として敬まわず。
四つには醜名悪声、天下に流聞す。
五つには身壊して命終すれば、当に地獄に入るべし」。
又た諸もろの清信士に告ぐ、「凡そ人、持戒すれば、五功徳有り。何をか謂いて五と為すや。
一つには諸もろの求むる所有れば、輙く願うが如く得る。
二つには所有の財産、増益して損すること無し。
三つには往く所の処、衆人敬愛す。
四つには好名善誉、周ねく天下に聞こゆ。
五つには身壊して命終すれば、必ず天上に生ぜん」。
『長阿含経』巻2「第一分遊行経第二初」
これにより、拙僧の疑問は氷解した。先ほどの『釈子要覧』は「破戒五衰」として項目のみを抽出してしまっているため、良く分からなかったが、原文としての『長阿含経』に当たってみると、比丘達が釈尊の脇に坐していることには違いないが、釈尊が話しかけているのは「諸もろの清信士」とあるので、男性の在家信者であったことになる。
よって、先に挙げた「破戒五衰」については、在家信者向けであったことになる。よって、「財産」の話などが出ていることになる。ただし、『釈子要覧』は『長阿含経』を典拠とは書いていないことからも分かるように、別の典拠を見ているのだろうか、非常に内容が分かりにくい。これは、『長阿含経』から見た方が正しく理解出来よう。
要するに、破戒(犯戒)と持戒の違いについて、5つのことを挙げつつ、持戒を選択するように促したといえよう。この場合、在家信者であるから、「戒」といっても、五戒なのであろうが、もしかすると、もっと広く世間的な「戒め」を指しているのかもしれない。
しかし、在家信者に対して明確な持戒を示し、それも功徳の有無を元に教えておられたのが事実だとすれば、我々の授戒会にも当然に使えることになる。しかも、持戒の結果は「天上界に生ずる」ことである。それも確認しておきたい。
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