つらつら日暮らし

イースター雑考

今日4月17日は、イースターである。それで、イースターというのは、キリスト教徒にとっては最も重大な祭日であり、意義としては、十字架にかけられて処刑されたイエス・キリストが、3日目(イエスが処刑された日を1日目として)に復活したことを示すという。

なお、何故今年は4月17日に行うかといえば、イースターを行う日付は「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」だと定められている。いつも思うが、「の」ばっかりだ。今年の春分の日以降の最初の満月は、4月17日(日)の夜明け前であった。よって、本日がイースターになるのだが、これは、一般的な「西方教会」の定めらしく、「東方教会」では24日(日)になるという。

このずれる理由については、暦に対する根本的な考え方の違いもあるとされるが、もう一つ、ユダヤ教の「過越祭」との関わりがあるという。そもそも、磔刑となったイエスが、最後、エルサレムを訪れた理由として、ユダヤ教の「過越祭」を祝う目的があり、そうなると、当然に磔刑も復活も「過越祭」よりも前になるのはおかしい、という話もある。だが、「西方教会」では、ユダヤ教的要素を排除する傾向にあるので、「過越祭」よりも前に行う場合もあるという。参考までに、2022年は「過ぎ越し祭」が16日のため、「東方教会」は、「日曜日」を一週間後にずらして、24日になっている。

ところで、キリスト教成立当初から、この日付を定めていたわけではなく、元々分かっていたのは、日曜日、ということだけだったらしい(転ずれば、イエスの磔刑による死は金曜日であった)。そのため、325年に行われた「第1回ニケーア公会議」にて、先に挙げたイースターを祝う日付の決め方を定めている。

それから、日本でキリスト教の再宣教を受け容れた明治時代以降、キリスト教の諸行事・諸文化を理解しようと努めた。その結果、以下のような言説も見られるようになった。

キリストの降誕と変容と復活との三は、互に連結したる事実なれども、此には唯だ其復活の事のみ論ぜん、
復活はキリストの最も重じたる所にして、之を以て己が教主たるの休徴となせり、〈中略〉彼には種々不思議の力ありしも、独り其復活以て唯一の休徴となせり、
使徒等も亦た之を以て信仰の基礎となせり、〈中略〉パウロはキリストの神性を云ふ時、其復活を以て之が証とせり、
使徒等はキリストの復活を証明するを以て、伝道の第一義となせり、是れ、キリストの命令に基けるなり、即ちキリスト昇天の時に、「「爾曹は此等の事の証人なり」と告げ給ひたり、
    小崎弘道『基督論』「第八章 基督の復活」警醒社・明治26年、94~95頁、漢字などを現在通用のものに改める


まずは簡単に上記一節を見ておきたい。この著者の小崎弘道(1856~1938)は元々熊本藩士の家に生まれたが、熊本洋学校のメンバーとして、海老名弾正などの影響を受けており、後には日本組合基督教会の有力者となった。それから、結構知られたこととして、現在、英単語の「Religion」は日本語で「宗教」と訳されるが、これを最初に行ったのが小崎であるとされる(明治14年5月に発刊されたシーレー著『宗教要論』の訳語等)。

ところで、先に挙げた『基督論』では、その復活の意義について、明確にキリストの復活こそが一大事であるとしている。しかも、その復活こそが、信仰の基礎であり、更には、使徒達はそれを証明すること(要するに、自分たちは、復活したキリストを見たということ)をもって、伝道の第一義になったのである。

歴史上の事実としては、イエスはエルサレムの十字架で磔刑となった罪人であるが、しかし、そのイエスが死して3日で復活し、使徒達の前に姿を現し、更には天上の神に召されたという宗教的現象を、事実だと信じていくところに、キリスト(救世主)が初めてその名に相応しい位置付けとなっていくのである。

このように、今日はキリスト教徒にとって最も重要な日である。それは、宗教の違いを超えて尊重したい。

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