仏の教へたまへる事あり。心の師とは成るとも、心を師とする事なかれ、と。
我々自身は、自ら自身の心について、師として相対し、抑えなくてはならない。好き勝手振る舞う心を師としてしまってはならないのである。心とは、我々自身がよくよく抑えて、初めて制御の聞いた大人の心となる。だからこそ、心の趣くままに生きる、なんてことを認めることは出来ない。
ところで、この『発心集』を書いた「蓮胤」という名前について、もしかすると、初めて聞く人が多いかもしれない。しかし、それは法名で書いたからであり、多分「鴨長明」と書けば、ほとんどの人が「あぁ、あの『方丈記』の・・・」と言うことだろう。
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