つらつら日暮らし

巨海東流禅師『普勧坐禅儀述解』参究⑩(令和6年度臘八摂心短期連載記事10)

拙僧つらつら鑑みるに、「臘八摂心」で、道元禅師の『普勧坐禅儀』(流布本)について、様々な解説を行ったのだが、その際には参照出来なかった、巨海東流禅師『普勧坐禅儀述解』について、嘉永7年(1845)の写本を入手したので、参究することとした。なお、引用に際しては、カナをかなにするなど見易く改め、誤字なども適宜修正した。

夫参禅者静室宜焉飲食節矣 坐禅なりと有る、是が永平の実意じや、故に静室宜しと有るなり、〈是よりよめば理が下る〉参禅は趨承と註て諸方へ走り回り示を承る事、此れはかなの坐禅儀に云、参禅は坐禅なりと有る是が永祖の実意じや、故に静室宜しと有るなり(※おそらくは繰り返しとなる誤記なので、「是よりよめば理が下る」の字句が註記に見える)、又化城喩品に曰、静室入禅定一心一処坐と有る是也、食をほどよくせよとは、仏の教の彼の節量のことなり、十二頭陀経に曰、五に者、得一食時三分の二支身命軽しめ安楽にして無廃是故に応受節量食此の文に依て可慎、若し然れば無病にして進道のみならず、余福を子孫に残故に大陰徳也
    6丁表~裏


さて、この段から坐禅作法となる。そこで、「参禅」の語句について、『正法眼蔵』「坐禅儀」巻を参照した、面山禅師『聞解』を承けつつ、「参禅は坐禅なり」をもって、「永祖の実意」と断言した。この「実意」という言い方は、巨海禅師の表現である。

そして、「静室」での坐禅は、『妙法蓮華経』「化城喩品」を典拠としている。意外と、この「化城喩品」に見える「静室での禅定」は他には見えない表現で、よって、その辺を典拠とするというのは分かるが、『修禅要訣』にも「問う、仏堂中、坐禅し得るや不や」に対して、「答う、宜しく静室・樹下・塚間及び露坐等にて坐禅すべし。須らく仏堂中に於いて在らざるべきなり」とあり、更には道元禅師の本師である天童如浄禅師は『修禅要訣』を参照したと思われる(『宝慶記』参照)ので、その影響も見ていくべきか。

また、「飲食節」については、『十二頭陀経』を典拠にしている。気になるのは、飲食に節度があると、「余福を子孫に残故に大陰徳也」とあるが、これはどうなのだろうか?直接の典拠などは不明なので、巨海禅師自身が思ったことだろうか。

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