さて、「安居」について以下の一節を参究してみたい。
九十日為一夏は、我箇裏の調度なりといへども、仏祖のみづからはじめてなせるにあらざるがゆえに、仏仏祖祖嫡嫡正稟して今日にいたれり。しかあれば、夏安居にあふは、諸仏諸祖にあふなり、夏安居にあふは、見仏見祖なり、夏安居、ひさしく作仏祖せるなり。
「安居」巻
我々は、仏祖が安居をするものだと思っている。だが、実は逆で、先に「安居」がある。そして、安吾に逢うことが仏祖に逢うことで、同時に、安居こそが仏祖を作り上げていくのである。こういう一文を拝見すると、すぐに分かることがある。それは、道元禅師は「法(仏法)」を、「安居」と言い換えているということである。法は、仏祖が自ら初めてなすものではないし、仏祖が嫡嫡正伝して、時代を超えていく。
まさしく「安居」は「法」のことである。
また、この夏安居が仏祖を作り上げていくという時、この「安居」とは、一種のシステムとして捉えなくてはならない。つまり、「安居」とは、或る特定の場所を指すのではないし、安居が安居として独立にあるのではない。強いて言えば、「安居」そのものが、我々の「修行」と相即していく。「修行」という時間・空間の限定が一定の間にある事象の継続が、一定の領域を作り出し、それがシステムとして機能していくとき、安居は安居となる。
だからこそ、安居は次のようにも述べられる。
四月十五日に握拳し、七月十五日に開拳す。中間の一句子、両頭辺を超越す。
『永平広録』巻3-248上堂
拳を握り、拳を開く。その開閉が、安居というシステムの領域の開閉に対応していく。我々の修行が安居を作り、その安居が我々をして仏祖として作り上げていく。その事を、「我箇裏の調度なりといへども」から、「夏安居、ひさしく作仏祖せるなり」へと展開していく上記引用文は表しているといえる。
「安居」とは、閉門に象徴されるように、領域の区切りを伴う。しかし、法として無限定に開かれている。区切りと開けとが同居しているけれども、それは外から強引にそう眺めているに過ぎず、その当事者としては、常に区切りつつある状況、それが安居である。「区切り」は、一定の儀式を伴い行われるが、それが「戒臘牌」「土地堂念誦」「結夏の上堂・小参」「礼賀」などである。これらは、安居に加わる「成員」を区切り、また同時に、或る土地を一定期間継続的に占有していくことで世俗から切り離し、まさしく仏法の世界に安住していくことを示すために行われる。そして、解夏でこれらを解き放つ。
では、何故、安居で仏祖が作られるのだろうか。
いま泥木・素金・七宝の仏菩薩、みなともに安居三月の夏坐おこなはるべし。これすなはち、住持仏法僧宝の故実なり、仏訓なり。
「安居」巻
この表現は、いつ見ても認識を新たにさせられる。道元禅師は、叢林内にある仏像・菩薩像もまた、安居しており、それこそが「住持仏法僧宝」であるという。問題はこの「住持」である。「住持」とは、三宝を住持(持続)させることである。それは、安居とは三宝の住持ということは、仏像もまた安居し、三宝の住持である。当然に、安居する僧侶もまた、三宝を住持している。三宝安居である。だからこそ、安居そのもので仏祖は作られる。握拳された、区切られた世界に中に於いてこそ、三宝が住持されているのである。
しかし、拳を開けば、また安居は解けるけれども、我々は別の方法で「法」と相即出来る。それは、「安居」とは関係が無いので、ここで論じる必要は無い。安居だけが仏法なのではない。だが、安居は仏法である。それで十分だ。「安居していないときはどうなんだ?」とかいう、脇稼ぎ的な想定問答は、仏祖の問いに相応しくない。
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