納豆を贈るの韻に和す
糲飯藜羹に芥薑無し、貧家寂寞として陰を送ること長し、
故人の恩露一筐賜る、飢腹膨脝して風味香しし。
『円通松堂禅師語録』巻2「偈頌」、『曹洞宗全書』「語録一」437頁上段
まず、この語録は現在の静岡県掛川市内に所在する円通院の松堂高盛禅師(1431~1505)の語録である。よって、内容は、中世室町期の曹洞宗に関する教えであると理解して良い。更には、どなたかが松堂禅師宛に「納豆」を贈ってくれて、しかも漢詩も添えられていたようなので、それに和して、お返しの偈としたものだろう。
上記の一偈から、中世の曹洞宗で「納豆」という語句が用いられていたことは明らかなのだが、これが、発酵食品としての「納豆」なのかどうか、確認するために、簡単に直訳してみよう。黒米(玄米)の粗食にはカラシやハジカミといった野菜も出ない、経済的に困窮した家は寂しく毎日を日送りする。しかし、故人の恩が露わとなって、豆を一箱いただいた。飢えた腹を満たす素晴らしい贈り物で、その風味も香ばしい、としている。
読んでいて思ったのだが、発酵食品としての「納豆」を意味しているのかどうか、微妙なところだ。ただの「豆の詰め合わせ」の可能性もあるように思えてきた。とはいえ、色々と調べてみると、既に平安時代には「納豆」という語句を記す文献は存在するようだが、これと、今回の偈が関係あるかどうかが分からないわけである。
また、中世には「納豆」について、容器に詰める意味もあったという指摘もあるようだ。そう考えると、この偈頌のタイトルに入っている納豆も、「箱に詰めた豆」と理解するのが良いと思う。その理由として、もし、発酵食品としての「納豆」なら、それがメインとなる偈頌になるような印象があるためだ。上記の一首の4句目は、納豆ではなくて普通の豆そのものの風味を示していると考えても矛盾がなく、それもまた、発酵食品的解釈への否定となってしまう。
文献的には、道元禅師の御在世時から既に、小豆、大豆、緑豆などは一般的に食されていることが分かっており、瑩山禅師も「豆粥」の存在について言及されている。よって、当然に豆を原材料とした加工食品や調味料も存在していたとは思うのだが、詳細はなかなか分からない、ということになりそうだ。
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