つらつら日暮らし

モーセの十戒に関する雑考

授業でユダヤ教を扱った関係で、改めてモーセ五書(いわゆる『タナハ』『旧約聖書』に収録)を見ていたのだが、モーセの十戒について日本語訳された原典(秦剛平氏訳『七十人訳ギリシア語聖書』講談社学術文庫・2017年)を読んでいたところ、幾つか思うところがあったので、簡単な雑考を記事にしておきたい。

まぁ、授業とかでは何の違和感も無く、「モーセの十戒(以下、記事では「十戒」と略記)」と黒板に書いていたものの、よくよく本文を読んでみると、何をもって「十戒」とするかは曖昧なのである。本文を見ながら「戒め」となっていることを項目として取り出すと、以下のようになっている(秦氏前掲同著の本文を参照しつつ要約は拙僧。また、便宜上、冒頭に数字を振る)。

1:わたし以外の他の神々を持ってはならない。
2:偶像やいかなる似姿の像も自ら作ってはならない。
3:それら(他の神々)にひれ伏してはならないし、仕えてもならない。
4:神・主の名をいたずらに唱えてはならない。
5:安息日を覚えて、聖別せよ。
6:おまえの父とおまえの母を敬え。
7:不倫をしてはならぬ。
8:盗みをしてはならぬ。
9:殺してはならぬ。
10:おまえの隣人に対して、偽証をしてはならぬ。
11:お前の隣人のもの一切を欲してはならぬ。
    秦氏前掲同著・292~294頁についての拙僧の要約


まぁ、1と3が同じではないか?という意見もあるとは思うのだが、しかし、ちゃんと後に言い直しているので、別の内容と見なした。そうすると、一般的にいわれる「モーセの十戒」は「モーセの十一戒」であったことになる。ところで、この戒めが「モーセの十戒」と呼ばれた理由は、エジプトから脱出してシナイ山に上ったヘブライ人(イスラエルの子ら)を代表したモーセに伝えたもので、モーセが民に対して神からの戒めを仲介したためである。

ところで、実はこの「十戒」の後には、すぐに他の戒めが続いていくのである。それは「偶像禁止と祭壇に関する定め」から始まり、様々な戒めまでを含むかなりの条数なのだが、それらが開示された後で、「出エジプト記」第24章で、人々(イスラエルの70人の長老達を含めた代表者)が神と契約を結ぶのである。ところで、その契約の場面で、まずは神の言葉を語ると、「主の語られた(言葉)すべてを、われわれは実行し、聞き従います」と応じて、契約を結ぶ意向を示した・・・その後、雄牛を捧げ物として殺すのだが、ここでモーセは「彼は契約の書を取ると、民の聞こえる所で(それを)読み上げた」とあって、民は「契約の書」があったのか?どこから出て来た?と思ったら、民が契約の意向を示した後で、「モーセは、主の言葉を全て書き記した」とあって、この時に書いたものらしい。この時、契約書には誰かサインでもしたのだろうか?

さて、話を元に戻すが、「十戒」がそのように数えられた経緯だが、同じ「出エジプト記」第34章にモーセにたびたび提示された契約の言葉を含めて「彼は(二枚の)契約の板の上にこれらの言葉、一〇の言葉を書き記した」とある。「一〇の言葉」とあるのが、どうも「十戒」に相当すると判断されるらしい。そうなると、先の「十一戒」が、どこで「十戒」になるのか?という話になるが、同じように「申命記」第4章に、「(主は)おまえたちに実行せよと命じたご自身の契約、すなわち一〇の言葉を告げ、そしてそれらを二枚の石版に書き記された」とある。この辺が典拠か?なお、契約の書としての石板があるが、これがモーセの手元に残されるに至った経緯は、少し複雑である(よくご存じの方はご存じだと想う)。

先に見た通り、まず契約書として「出エジプト記」第24章でモーセ自身が書いたのだが、その後、「出エジプト記」第32章で、アロンが「金の雄牛」を鋳造したことに怒ったモーセは、手持ちの石板を破壊し、再度山に登り神に懺悔した。その様子を見た神は満足し、「出エジプト記」第34章で、石板はモーセによって切り出され、神が言葉を記して、再度「契約書」が成立したのであった。それが「申命記」で指摘された2枚の石板なのである。

そして、「申命記」第5章には再度「十戒」が提示されるのが、それは先に示した「十一戒」と同じものである。まぁ、これが「一〇の言葉」として解釈されるのは、結局先の要約文の2・3を1つに見るから、ということになりそうだ。モーセも「一〇の言葉」と言ってしまっているし、そう読み取るべきなのだろう。

雑文なので、最後に一言。「十戒」にはこんな怖い言葉もある。

わたしは、お前の神・主、ねたみ深い神だからである。わたしを憎む者たちに対しては、父祖たちの罪を子らに三代、四代まで報復するが、わたしを愛する者たちやわたしの戒めを守る者たちには、幾千代にもわたって憐れみをほどこす。
    秦氏前掲同著・293頁


かなり怖いな・・・とはいえ、これこそが一神教における戒めとしての信仰の源泉になるのだろうし、信教の自由という観点からすれば、とんでもない内容である。だが、ユダヤ教の神はその自らの立場をこのような言葉で明確にしたということになる。それに「ねたみ深い神」という表現には、人間臭さを感じてしまう。後に、イスラームの『クルアーン』でも、神(アッラー、先ほどのユダヤ教における「神・主」と同じ神)は身近にいて、ムハンマドの周囲の者たちに対して、正しい信仰を持つように促すのだが、モーセの時にも強い身近さが感じられるのである。

ただの思い過ごしかも知れないが、『新約聖書』の「共観福音書」を見ても、神はほとんど登場しない。これも何故なのかな?とは思う。イエスに任せたからなのか?その頃の神は、基本的に登場しない方針だったのか?色々と気にはなる。そういえば、イエスによる「山上の垂訓」(まぁ、本当にこれがあったかどうか議論はあるようだが)も、「十戒」に対する新解釈と見なすことが可能だ。そうなると、神との契約に対する人間側からの再解釈となるのではないか?なんて思ってしまった・・・

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