つらつら日暮らし

明治期の浄土真宗に於ける「安居」観について

拙僧の率直な意見として、いわゆる宗祖・親鸞聖人以来の「非僧非俗」という立場からすれば、浄土真宗に於いて「戒律」の実行は、その宗義上重要な問題では無いと思われ、よって、現在行われている「夏安居」という『律』に即した行事なども、本来は必要がない立場のはずである。

そう思っていたところ、或る記述を目にしたので、今日はそれを検討しながら、浄土真宗に於ける「安居」の一様相を見ておきたい。なお、江戸時代のことについては、【江戸時代の浄土真宗に於ける「安居」観について】で示しておいたので、ご参照願いたい。

  安居及條例
 往古は四月より七月まで全国の末寺僧侶、本山学林に来りて学事を研究せしが、維新以後学制を改めてより、毎年七月・八月の交三十日間を安居として派内僧侶の学階を有する者二百名内外を招集し、法主親づから一山の碩学中より本講師、副講師等の役員を撰み、これが任にあたらしめ、以て宗義を講演せしめ、且昇階の試験を施行せしむ。故に毎年安居の期日に至るや、派内有階の僧侶は挙って宗義の蘊奥を究め、昇階の名誉を得んと専ら精学励勉しつゝありといふ。左に安居の條例を掲げて参考に資す。條例は明治二十三年四月二十五日教示第二号を以て発布されたるもの。
    石倉重継『本派本願寺名所図会』博文館・明治35年、350頁、表記を見やすく改める


本書は、あくまでも浄土真宗本願寺派の総本山である本願寺(一般的には西本願寺)の「名所図会」の形で紹介する中で、同派の様々な行事などにも言及している。それで、今回紹介したのは、「安居」の條例ということであり、明治時代の同派の「安居」観を知ることが出来るといえよう。

それで、上記一節から理解出来ることは、江戸時代までの本願寺派では各地の僧侶が本山に集まって研究していたという。「学林」という位置付けであり、その学びが住職資格に必要だったのだろう。しかし、明治時代になると学制を変更し、「安居」については、「昇階の試験」の場所・機会になったということになったのだろう。

なお、上記を見ると、江戸時代までの安居期間は一般的な仏教と同じく、4月15日から7月15日までだったようだが、明治時代はどうだったのか?

  安居條例
 第一條 安居は毎年七月二十一日より八月二十三日まで大学林講堂に於て之を行ふ
    前掲同著・同頁


1ヶ月間になった様である。それで、気になったのが「大学林講堂」についてだが、これは本願寺派だけに現在の龍谷大学に相当するのだろう。ところで、本條例が明治23年であることからすると、明治21年から同宗派の「大学林例」が施行されており、大学林とはやはり後の龍谷大学を意味していたようなので、この講堂というのも、同大学林の建物だったということになる。

後、拙僧的に知りたかったのはカリキュラムなのだが、残念ながらその詳細までは上記條例には書かれていなかった。よって、とりあえずは以上の通りである。

それから、先に挙げた『名所図会』には、同派に於ける「学制沿革」が収録されているようなので、それもまた機会があれば見ておきたいと思う。

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