凡そ諸白衣、苾芻の所に詣で、若しくは専ら仏典を誦し、情に落髪を希み、願いて緇衣に畢るを、号して童子と為す。
或は外典を求めて出離に心ろ無きを、名て学生と曰ふ。
斯の二流、並に須らく自食すべし〈西国の僧寺、多く学生有り、来りて苾芻に就いて外典を習学す、一には駆馳して給侍することを得、二には乃ち教えて好心を発せしむ。既に自利利他有り、之を畜るに損に非ず、必ず是れ杜多、一鉢、理則ち労せず。若し也た片に供承有り、亦た是れ要を成す。遣て歯木を給せしむ。其の食を授けしむるに、時に須らく応ずるに足るべし、傷悲道ならずや〉。
『南海寄帰伝』巻3・5丁裏、原漢文、段落等は当方で付す
この文章について、前半は「学生」の身分などについて述べ、後半は、その学生がどのように食事をすべきか、という話になっている。
そこで、前半については、諸白衣(在家の者)が、比丘のところに行って、専ら仏典を唱え、剃髪を望み、緇衣(黒衣、出家者)になることを願う者を、「童子」という。
一方で、外典(仏典以外の教え)を求め、しかも出家し、出離することに興味が無い者を、「学生」という。
つまり、義浄が指摘するには、在家の者が、比丘のところに教えを聞く場合も、2種類があることを指している。
そして、この2種類の者は、「自食」すべきだという。この食事の件は、次回の記事で主に採り上げたい。今回は、「学生」について見ていくのだが、インドの仏教寺院には、多く学生が来ていて、比丘から外典を習っていたという。その時、学生は比丘に給仕していたようで、比丘は外典も教えて、良き心を起こさせ、学生を良い人物としたので、これは自利利他であるという。つまり、そういう学生が来ることは、比丘にとっても損にはならないという。
ただし、その内、食事の問題だけは残るといえよう。比丘自身が自分の分だけ乞食したとすれば、分け与えることは難しかっただろうが、供養を承ることがあれば、それは学生などにも分け与えていたようである。ここでいう「自食」とは、特に前者の時に、自分で食糧を確保することを指示したということだろうか。
この辺は、また次回の記事でも見ておきたい。
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