つらつら日暮らし

盂蘭盆会に因んだ学び(令和4年度版2)

とりあえず国内の一部地域が盂蘭盆会期間中ということで、以下の記事をご覧いただきたい。

  ○盂蘭盆会  第七十一
漢土にては梁武帝大同四年〈我紀元一千百九十八年〉初めて盂蘭盆斎を設けたるよし仏祖統記に見ゆ。
    大内青巒居士『釈門事物紀原』鴻盟社・1883年、下巻18丁表


これは、明治時代の仏教啓蒙家である大内青巒居士が、仏教に因む様々な事物について解説を記した文献からの引用である。今回引用した項目は見ての通り、「盂蘭盆会」についてであり、青巒居士は『仏祖統紀』という文献から引用して、中国で最初に行われた盂蘭盆斎は、中国南北朝時代の梁・武帝が大同4年(538)に行ったものであるという。

日本ではようやく仏教が伝来した頃に、中国では国家を挙げての大規模な法要が行われていたわけである。

(大同)四年、帝、同泰寺に幸し、盂蘭盆斎〈梵語の盂蘭、此に云く倒懸を解く。是れ目連尊者、此の盆供を設け、母氏の餓鬼の苦を得脱せしむ〉を設く。
    『仏祖統紀』巻37


青巒居士が参照されたのは、以上の記事となっている。ところで、同じ『仏祖統紀』を見てみると、以下のような記事も見える。

盂蘭盆供 経に言く、是れ仏弟子の孝順を修するは、応に念念中、常に父母乃至七世の父母を憶うべし。年年の七月十五日、百味の飲食を以て盂蘭盆中に安んじ、仏及び僧に施す。以て父母長養慈愛の恩に報ゆ〈盂蘭盆経○此れを翻じて倒懸を解くとす。言わく盆供を三宝福田に奉り、用い以て饑虚倒懸の急を解くなり〉。
    同上・巻33


ここでいう「経」とは、『盂蘭盆経』のことである。そして、同経に於いて仏弟子であっても孝順を説いていることが理解出来よう。これを、中国に由来する発想とのみ捉えるのは危険である。確かに、『盂蘭盆経』自体は偽経であるから、インド成立とはいえないわけである。

ただし、非常に大事なことが述べられている。以前から、出家の偈などで仏教は恩愛を断ずることが強調されがちだが、果たしてそれは教義的に不可避な事実だったのだろうか?その辺の観念は、何時の日か検討してみたい。

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