つらつら日暮らし

新連載開始(『浄土布薩式』参究0)

今回から、新連載を始めたい。読んでいく文献は、浄土宗でかつて行われていた『浄土布薩式』という式次第・作法・思想を示したものである。この「布薩式」だが、【浄土布薩式(新編浄土宗大辞典web版)】という項目を見ていただければ、だいたいの様子は分かると思う。

『続浄土宗全書』や『法然上人全集』(宗粋社・1906年)でも、法然上人(源空)の著作とはなっているが、江戸時代には既に疑義が呈され、現在では法然上人の著作とは認められていない。その議論へ影響を与えたこととして、『浄土布薩式』(上下巻)が、慶安元年(1648)に開版されたことも大きいといえよう。『続浄土宗全書』巻15には、関連する議論も収録している。

なお、明治時代初期の福田行誡上人の改革などによって、「布薩戒」は廃止されており、この連載記事はあくまでも歴史的な事象を扱うだけであるが、見ていきたいと思う。

そういえば、当方が初めて「布薩戒」という語句を見たのは、以下の一節であった。

 六十六 戒名法と云うの事
○問ふ、他宗に戒名と云う意、如何。
 答ふ、三帰戒を授け、或は三聚浄戒を授け、或いは円頓戒の血脈を授け、或は布薩戒の血脈を授る故に戒名と云也。
 問ふ、当流に戒名と云わざる意、如何。
 答ふ、戒定慧の三学は、世に無き時節なる故に、戒脈等無し。爰を以て戒名と云わざる也。
 問ふ、当流に法名と云こころ、如何。
 答ふ、法名は通号也。仏道の名と云ふ意也。
 問ふ、当流にも戒名と云へし、阿難に持無量寿仏名と果号の大戒を授け給えり。此の名号の戒は布薩戒也。此の戒を持つと見よ。戒名と応に云ふべきか、如何。
 答ふ、戒名・法名一往の差別也。一往受戒の義無き故に法名と云ふ也と。戒名は狭く受戒に限る。法名は広く戒・無戒に通ずる也。
 問ふ、釈と置く意、如何。
 答ふ、釈氏と云ふ意也。他流の祖も釈良忠と伝通記等に置く。今と同意也。云々
    『真宗百通切紙』巻3・4(永田文昌堂・明治23年)


上記は、明治期の刊行物を参照しているが、その原典は延宝9年(1681)に成立し、天和3年(1683)刊行されている(その版本も所持している)。個人的には、「戒名」という用語が見られた文献として、かなり(一番?)古いものという印象が強いのだが、今回見ておきたいのは、むしろ「布薩戒」である。この著者である明伝という僧侶は、元々は浄土宗侶であり、江戸の小石川伝通院で学問を学んでいたという。しかし、現在の岡山県内の浄土真宗本願寺派寺院で住職の座を得て、転宗している。

つまり、浄土宗と浄土真宗との法儀や思想の違いなどを理解出来る人であった。そのため、この『百通切紙』は色々と貴重なのだが、「布薩戒」についてはまず、「布薩戒の血脈」があったとしている。おそらくは、受戒したことを示しつつ、その法脈を示すものだったと思われる。更に、「当流にも戒名と云へし、阿難に持無量寿仏名と果号の大戒を授け給えり。此の名号の戒は布薩戒也」ともある。つまり、南無阿弥陀仏という名号自体が戒であり、「布薩戒」であったともしている。

よって、「念戒一致」という考え方の一類型だとも思われるのだが、果たしてそれを『浄土布薩式』という文献から読み取れるのかどうか、実際の本文を学んでいきたい。詳細は、次回から入っていくこととする。

【参考資料】
・宗書保存会『続浄土宗全書』巻15、大正14年
浄土布薩式(新編浄土宗大辞典web版)

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