つらつら日暮らし

日本人の現当二世への祈りに影響を与えた経説について

とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。

如来時に是の衆生の諸根の利・鈍・精進・懈怠を観じて、其の堪うる所に随って、為に法を説くこと種々無量にして、皆歓喜し快く善利を得せしむ。是の諸の衆生、是の法を聞き已って、現世安穏にして後に善処に生じ、道を以て楽を受け、亦法を聞くことを得。既に法を聞き已って諸の障碍を離れ、諸法の中に於て力の能うる所に任せて、漸く道に入ることを得。
    『妙法蓮華経』「薬草喩品」、下線は拙僧


この下線部に、なるほど「現当二世への祈り」を見ることが出来るといえる。この「現当二世への祈り」とは、現世と当世(具体的には当来世と表記される)について、その幸いなることを願うことである。同経の日本での影響力を思えば、この辺が仏教思想の持つ力として認識されていた可能性がある。

『法華経』の場合、具体的には現世の生活が安穏であり、しかも、来世に善きところ(天上界・人間界など)に生まれ変わりたいという願いを叶えてくれることになろう。

この「薬草喩品」という一品は、世尊が衆生の能力に随って、様々に法を説かれたことを讃歎する内容である。衆生はその能力に随って、世尊の説示を受け、大いに納得したので、皆歓喜するのである。その歓喜の中で、衆生は現当二世の幸いなることを得、しかも、法を聞く機会を得て、各々が抱える障碍を離れ、諸法の中に於いて、力の及ぶ所で仏道に入るのである。

よって、『法華経』を聞き、その歓喜した中で、現当二世の幸いが現実になるのだから、これは同経の功徳になるといえる。

拙僧つらつら鑑みるに、現代人は来世での救いに重きを置かない場合が多いので、こういう文言についてもほとんど顧みられることは無いと思うのだが、かつての人々にとっては、こここそが大事だったわけで、そういうかつての状況まで無視してはならないといえる。

それにしても、こういう形で現当二世の幸いなることを説く経典って、他にもあるのだろうか?ちょっと調べてみたら、結構いっぱいあった。大乗経典は『法華経』に代表させておくとして、それ以外にもあった。

現世安穏にして終に天上に生ず。
    『梵摩渝経』


なんだ。結局、阿含経典にもあるんじゃない。

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