明和4年(1767)師85歳 十一月肥後球麻永国寺円髄力生至りて、師を来夏の結制に請う。師、諾す。
明和5年(1768)師86歳 二月二十三日 京より発して、肥後永国寺結制の請に赴く。三月二十三日を以て到る。制中に、『金剛経纂要』及び『参同契吹唱』を開示し、且つ戒会を開く。得戒者、二百三十五人。事畢りて、五月二十八日を以て求麻を発し、六月二十五日を以て京に入り、直ちに建仁西来院に寓す。
このようにあって、面山禅師は遷化される前年に、熊本にまで赴いて結制中の戒師を務められたのである。そこで、この時の説戒録だが、『永福面山和尚広録』巻10の末に収録されており、或る意味、面山禅師の戒学の集大成的内容であるから、今日から数回に分けて見ていきたい。
戒子、諦聴せよ。
仏語るらく、金剛宝戒、是れ一切仏の本源、一切菩薩の本原なり。仏性種子、一切衆生皆仏性有り。一切意識の色心、是れ情、是れ心。皆仏性戒中に入る、云々。是の故に、今、出家・在家を揀ばず、因有り縁有る者、皆授けて此の戒中に入らしむ。いわゆる、衆生仏戒を受くれば、即ち諸仏の位に入る。位、大覚に同じくし已る、真に是れ諸仏の子なりと。豈、尽未来際の大因縁ならざらんや。
『瓔珞本業経』に説くに、菩薩戒に受法有りて捨法無し。犯あれども失わざるに、未来際を尽くす、と。是の羯磨、いわゆる今身従り仏身に至るまで、汝能く持つうや否や、能く持つの要期に由るなり。
是の故に永祖の謂く、一たび仏戒を受くれば、則ち六道輪回、皆菩提の行願と成るをば信ずべし。
経に謂く、若し此の戒を受くる者は、一切の鬼神救護し、十方の諸仏歓喜す、と。謂いつべし、希有難思の大因縁なり。
まず、「戒子、諦聴せよ」から始まるのは、説戒の伝統である。宗門の菩薩戒の根本聖典である『梵網経』によれば、「仏子、諦聴せよ」とあることに対応する言葉である。この満戒普説冒頭の内容としては、戒弟達に菩薩戒を受ける意義、或る意味での「勧戒」を改めて行う目的があったといえよう。「勧戒」とは、何故か戒学関連の典籍では後半に置かれることが多い。しかし、よくよく考えてみれば、『梵網経』も同様の構造である。菩薩戒を受ける「五種の利」については、『梵網経』末尾の偈に見えるわけである。
さて、面山禅師は普説の冒頭に、『梵網経』から引用をして、金剛宝戒・仏性戒の意義を示している。特に重視されたのは、仏性戒であろう。仏性戒は、一切衆生に具足されていることが肝心で、また、法身を長養させる機能を持っている。よって、面山禅師は出家も在家も選ばずに、因縁があった者には、皆授けていくといい、更にその意義を、『梵網経』の「衆生受仏戒」偈をもって証明しようとしている。
続いて、『瓔珞経』巻下「大衆受学品第七」を挙げて、菩薩戒の特徴を述べようとしている。それはつまり、「受法」のみがあって「捨法」が無いということだ。これは、大乗仏教から見て声聞戒に位置付けられる戒学から明らかな分離を図った教えである。声聞戒は戒を行えない場合、その「戒体」が壊れることとなり、それを破戒という。だが、菩薩戒は戒体の有無を論じない。一度受けた戒体は壊れることが無い。よって、受けるのみで捨てることが無いという教えとなる。面山禅師は、『瓔珞経』の教えを受けつつ、菩薩戒の本分「今身従り仏身に至るまで、汝能く持つうや否や、能く持つ」が現成するのである。ただ「持つかどうか」のみが問われるのである。
面山禅師はその教えを更に、道元禅師の教えで展開し、「一たび仏戒を受くれば、則ち六道輪回、皆菩提の行願と成る」を挙げている。これは、原文は少し異なっているが、『正法眼蔵』「渓声山色」巻の教えを敷衍したものである。つまり、仏戒を受けた人生の結果によって、天上界から地獄界まで赴こうとも、その全ては「菩薩の行い」なのである。
そして、最後に挙げられている「経」は『梵網経』である。「四十八軽戒」の冒頭を挙げたものである。菩薩戒を受ける者は、鬼神にも護られ、諸仏も歓喜するのである。ここで、今回の「勧戒」は完結した。以下の内容はまた明日論じたい。
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