つらつら日暮らし

伝統的な宗門ではイベントが少なかった11月

今日から11月である。今年も残り2ヶ月となった。最近は、本当に1年経つのが早い。油断していると、あっという間に棺桶(いや、拙僧どもは「龕」か?)に入ってしまいそうだ・・・いやまぁ、諸行無常と言っている仏教を信じる一僧侶、そのこと自体に何か問題だと思っているわけではない。あるがまま。ただし、仏道の成就だけは常に願っていなくてはならないし、学びを止めてもならない。

さて、11月なのだが、現代でこそ、11月21日に大本山總持寺御開山・瑩山紹瑾禅師の降誕会(誕生日)があるので、年分行持にも彩りが増えたけれども、江戸時代以前の伝統的な宗門で、11月はイベント(行持)が少ない月であった。参考までに、江戸時代の学僧・面山瑞方禅師が編まれた『洞上僧堂清規行法鈔』で「年分行法」の目次を見てみると、以下の通りとなっている。

年分行法次第
 正月 修正礼駕 禺中行法 駕客接待 三寮祝茶
    満散宣疏 法問資始 堂頭特為 解冬 起単
    請頭首知事(附下頭首知事) 祝法衣資
 二月 遺教起首 涅槃会
 三月 閉炉 上巳礼駕 清明貼符 掛搭
 四月 謝掛搭 誕生会 首座特為 楞厳会 結夏
 五月 端五礼駕 換帳 換簾
 六月 半夏 止版 打扇 晒蔵 晒薦
 七月 盆前看経 盆前施食 七夕礼駕 堂頭特為
    大施餓鬼 解夏 起単 請下頭首知事 天童忌
 八月 翫月 祖師忌
 九月 打版 換帳 換簾 重陽駕 翫月
 十月 開炉 謝掛搭 達磨忌 首座特為 結冬
 十一月 冬至礼駕
 十二月 常坐式 成道会 断臂会 歳末看経
    除煤普請 撏餈普請 立春貼符 除夜施食
    龍天回向 歳末礼駕


この通りで、11月は「冬至礼賀」の項目しかないのである。現在は暦の関係で、冬至は12月下旬にあることが多い(参考までに、今年は12月21日である)。よって余り実感が無いかもしれないが、当時の冬至はとにかく11月にあるものだった。そして、冬至は禅宗にとって、それなりに大きな意義を持っており、中国・日本問わず、各時代の禅僧は冬至に因んだ様々な説法を遺した。

なお、11月は年分行持こそ少ないものの、江戸時代の曹洞宗寺院では、「冬安居」の最中であった。そう考えると、冬至というのは、夏安居に於ける「半夏節」的な位置付けになっていたのかもしれない。「半夏節」というのは、4月15日~7月15日までの90日間で行われる「夏安居」の中間日に当たる「6月1日」に、安居者達の精進を促すような内容の説法を行うことをいう。「半冬節」というのは、もし10月15日から冬安居が行われていれば「12月1日」に該当するのだが、拙僧自身、寡聞にして見たことがない。しかし、冬至に似たような説法をしているような印象があるので、それで良かったのかもしれない。

それで、先の内容だが、明治時代に入ると少しだけ様相が変わった。特に、現代の新暦に変わった後の『明治校訂洞上行持軌範』だと、11月は以下のような年分行持が行われた。

1日 閉旦過 戒臘簿調認 開炉
2日 入寺式請首座法 排位諸図調認
12日 湯牓念誦調認
13日 衆寮諷経
14日 土地堂念誦 僧堂特為湯
15日 人事行礼 住持巡寮 戒臘円鏡牌 祝茶上堂 僧堂特為湯
16日 羅漢講式 本則茶
17日 祝茶法座
    前掲同著、目次参照


上記から分かることは、いわゆる「冬安居」の実施が、江戸時代から1ヶ月遅れて11月15日になったということである。この流れは基本、現行の『昭和修訂曹洞宗行持軌範』でも同様である。さらに、明治期の軌範編集時には制定されていなかった太祖降誕会も増えたので、現代は11月の行持はそれなりに多いのである。

そこで、察しの良い方はお気付きであると思うが、この結果、割を食ったのが10月で、現行の『行持軌範』を見ると、5日の「達磨忌」しかなくなってしまった。注意を促しておくが、日分・月分は通常通りなので、10月の行持が全くなくなったということではない。ただし、年分行持だけに注目すると、江戸時代までは11月が少なかったのに、現代は10月が少ないという状況なのである。

せっかくの月変わりなので、ちょっとした気付きを記事にしてみた。

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