臨済宗の沢庵和尚という方は、弟子を残さなかったという。さまざまな事情があるとは思うが、やはりたとえ1人であっても弟子を育て、そして法を嗣がせるべきではなかっただろうか?しかるに、沢庵の晩年は監視付きの生活だったともされているが、『鎌倉遊覧記』という書では、円覚寺を訪れた際の言葉として、己の仏眼が開けていないのに、古い人の言葉ばかりを引く者が多いことを諫めている。 また、『碧厳九十偈』では、西天東土の各仏祖方は、まさに「不授の授」「不伝の伝」であったことを強調しているからには、ただ師と弟子が顔を付き合わせれば良いというものでもあるまい。印可証明を授けたは良いが、世渡りの道具にされるのも困る、沢庵の真意は那辺にあったかもしれぬ。 従来の記事は【カテゴリー約300字で仏教】からどうぞ。 この記事を評価して下さった方は、を1日1回押していただければ幸いです。