つらつら日暮らし

約300字で仏教(24)

臨済宗の沢庵和尚という方は、弟子を残さなかったという。さまざまな事情があるとは思うが、やはりたとえ1人であっても弟子を育て、そして法を嗣がせるべきではなかっただろうか?しかるに、沢庵の晩年は監視付きの生活だったともされているが、『鎌倉遊覧記』という書では、円覚寺を訪れた際の言葉として、己の仏眼が開けていないのに、古い人の言葉ばかりを引く者が多いことを諫めている。

また、『碧厳九十偈』では、西天東土の各仏祖方は、まさに「不授の授」「不伝の伝」であったことを強調しているからには、ただ師と弟子が顔を付き合わせれば良いというものでもあるまい。印可証明を授けたは良いが、世渡りの道具にされるのも困る、沢庵の真意は那辺にあったかもしれぬ。

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