つらつら日暮らし

改めて『遺教経』と「波羅提木叉」について(1)

2月に入り、釈尊涅槃会も近付いているので、『遺教経』を学んでおきたいと思うのだが、『遺教経』といえば、やはり「波羅提木叉(戒)」への重視が気になるところである。とはいえ、それが出ているのは冒頭に近い2箇所のみである。例えば、以下のような教説となっている。

汝等比丘、我が滅後に於いて、当に波羅提木叉を尊重し珍敬すべし。闇に明に遇い、貧人の宝を得るが如し。当に知るべし、これは則ち是れ汝等が大師なり。もし我、世に住するともこれに異なること無けん。
    『仏垂般涅槃略説教誡経』「二修集世間功徳分」


このように、『遺教経』では、「波羅提木叉」の重視を説くが、理由として、これが新たに仏教を学ぶ者にとっての「大師」となり、更には、もし釈尊自身が生きていても、「波羅提木叉」がある状態と変わることが無いとするためである。さて、上記の一節について、『遺教経論』は以下のように註釈している。

経の如く、「当に波羅提木叉を尊重し珍敬すべ」きが故に、此の木叉、亦た是れ毘尼相順法なるが故に,復た是れ諸行調伏の義なるが故に、如来不滅の法身、自ら解脱波羅提木叉を体す。
    『遺教経論』


以上のように、この波羅提木叉とは、「毘尼相順法」であるとし、更には「諸行調伏の義」であるという。つまりは、比丘達が修行する時に相順うべき法であると同時に、その結果として、自らの行いについて、正しい道理で調伏するという。

余は、波羅提木叉を示現するは、是れ修行の大師なるが故に。経の如く、「当に此れ則ち是れ汝が大師」なるが故に。又た住持し利益するを示すは、人法に相似するが故に。
    同上


こちらもまた、波羅提木叉の重要さを示す教えであるが、この住持し、利益することとは、世間に於けるあり方と相似しているのである。世間でも、戒めがなければ、自分の人生も、社会も、ただ放逸なる様となるところ、ここではそれらをしっかりとまとめ、調えていく「波羅提木叉」の功徳が確認されたのである。

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