さて、日本も様々な記録が残るようになって既に1500年近くになっておりますが、当然に竜巻(辻風、つむじ風)に関する記録もあります。鎌倉時代初期の遁世人、鴨長明の書いた『方丈記』は、今年で成立800年になりますが、それから見ていきたいと思います。
また、治承4年(1180)の4月頃、中御門京極のあたりから、大きなつむじ風が起きて、六条当たりまで吹き付けたことがあった。
3~4町を吹きまくる間に、その中にある家は、大きい物も小さい物も、1つとして壊れない物は無かった。さながら、ペシャンコに倒れる物もあったし、桁や柱だけが残った物もあった。門を吹き飛ばしては、4~5町ほど別の場所に移したり、また、垣が吹き払われて隣と一続きになる場合もあった。ましてや、家の中の家財は、その全てが空中に飛ばされてしまった。檜皮や葺き板などは、冬に木の葉が風に舞う如くに飛ばされていた。塵も煙のように吹き立てられ、一切眼も見えず、轟音が鳴り響いて、話し声も聞こえないほどであった。地獄に吹くという業風も、これほどでは無かろうと思うほどであった。
家が壊れたばかりではない。風の中で修理していた人が、転倒してケガをする場合も、数が知れないほどであった。この風は、未の方角(南南西)に移っていき、多くの人が歎くこととなった。
つむじ風は、常に起きるものだが、これほどのことがあるだろうか。ただ事では無い。凶事でも予言するのか、等と疑うほどである。
拙僧ヘタレ訳
治承4年といいますので、ちょうど今NHKで放映されている『平清盛』よりは若干時代は下っていますが、大体都の雰囲気は似たようなものだったことでしょう。その中で、激しいつむじ風(原文は辻風、意味合いとしては竜巻を含む)が吹き、大きな被害が出た様子を、鴨長明は書き記しています。同年4月頃といいますから、今時でいえばちょうどこの5月頃ということになります。季節的に、竜巻の発生する頃ということになるのでしょうか。
範囲は京都の御所の南辺りから、六条の辺りまでの範囲ですので、直線距離にして、約2キロほどでしょうか。その間にあった家が、粉々になっていく様子が克明に記されています。今回の茨城の竜巻では、その発生時から地表付近に被害を及ぼす様子までが、映像に記録されたようですけれども、大体ここで鴨長明がいう様子と酷似しています。同じような被害だったのでしょう。
気を付けたいと思っても、なかなか思うようにはいかないとがこの無常なる世ではありますけれども、これで長明のように遁世するというのなら、話は早いのかもしれませんが、世間一般に於いてはそう簡単にはいきません。なお、長明はこのように、建物がはかなくもろい様子を『方丈記』に書き付けることで、その後自分が簡易テントの延長線にあるような庵に住むことを肯定しようとするのです。ただしそれは、遁世という生き方だから出来るのであり、普通に世間に生きる方々は、生活を再建しなくてはならない所です。大変な労力になると思いますが、改めてお見舞い申し上げたいと思います。
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