そもそも「両班」とは何かというと、禅宗叢林の運営にかかわる役目の僧をいい、特に、現在であれば法堂などで整列するときに東側に知事(六知事)、西側に頭首(六頭首)が列をなす。これを各々を班として、「両班」とするのである。なお、江戸時代の学僧・無著道忠は『禅林象器箋』「第七類 職位門」の中で、「忠曰く、朝廷の制、文武両班有り。禅林、これを擬す。故に東西の両班有るなり」とした。
ここでいう、「朝廷の制」とは何かというと、朝鮮半島の王朝で「貴紳を以て両班と為す。両班とは、文班・武班なり」という見解を見たことがあるのだが、上記の通り仕官した者を、その役目に応じて文武の2つに分けたという。つまり、冒頭で述べた「用いることは大丈夫か?」という話は、「両班」が貴族の言い方だから、現代的な禅林で用いるのは如何なものか?という話なのだと思う。
色々と見てみると、日本の初期曹洞宗に於いては、道元禅師はどうも「両班」という語句を用いられた形跡が無い。一方で、瑩山禅師は複数回用いておられる。道元禅師も『永平寺知事清規』に於いて知事・頭首の職責などを定めたけれども、それをひとくくりにして呼ぶときには、ただ「知事」としたようである。
それで、「清規」を見ると、『禅苑清規』には「両班」の表記が無い。だが、中国宋朝禅の中では、それこそ道元禅師の本師・天童如浄禅師が「謝両班上堂」を実施しているし、同時代の僧侶についても同様だから、宋代には「両班」という表記が一般に用いられたといえよう。
なお、無著は禅林が朝廷の制を模して、知事などを「両班」と呼んだとするが、調べた限り、朝鮮半島では高麗(10世紀に成立)辺りから用いたという。そうすると、確かに中国の宋朝禅以降にこの表現が一般的になったと仮定すれば、「両班」が朝鮮の影響と見る見方には、説得力がある。
それでは、今後「両班」を用いないとした場合、代わりになる表現は何かというと、「両序」がそれに該当すると思われる。例えば、中国で編集された『幻住庵清規』「四節」項では、「東西の両序、各おの相対して立定す」などとあるし、また、先にも見た無著『禅林象器箋』では、「忠曰く、竊かに以るに、百丈、禅苑の規縄を制して、意を朝制に取る。其の東西の両序、猶お文武の排行するが如し」(「法堂」項)と指摘する。
しかし、無著の指摘を信じるならば、「両序」であったとしても、先ほどの貴族云々という話から逃れられないように思う。何故ならば、禅宗の清規を制定したと伝えられる百丈懐海は、「朝制(朝廷の制度)」を用いて、禅林の規縄を編んだと考えられているためである。
そうなると、後は伝統的な記述を尊重する形で決めた方が良い。まず、道元禅師は「両班・両序」ともに用いていないようだが、瑩山禅師は「両班」は用いておられる。また、江戸時代の学僧・面山瑞方禅師は『洞上僧堂清規行法鈔』巻4にて「僧堂両序」という表現をしておられる。つまり、伝統的には「両班・両序」ともに用いた場合があるということだし、そもそも、禅林の制度が朝廷の制度に準えているのであれば、語句の表現には余りこだわらなくても良いように思う、という結論になってしまった。
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