又、真偽沙門経に云わく、比丘に二事有れば、鑊湯中に堕す。
一つには常に愛欲心を念ず。
二つには喜愛、知友を結ぶ。
聖言、此の如し。意念、尚お鑊湯に堕す。況んや身語の過患、甚だ重からんや。
法蔵『梵網経菩薩戒本疏』「初篇婬戒第三」項
気になったのは、この『真偽沙門経』という経典である。すると、本書の註釈者である江戸時代の鳳潭法師が、以下のように示している。
〇真偽経とは、開元録五に云く、京声の出づる所、迦葉禁戒経と文句全同し、乃ち是れ彼の経の異名なり。録家錯て上す。
鳳潭『梵網経菩薩戒本疏紀要』巻2
要するに、『開元釈教録』巻5を参照しつつ、『迦葉禁戒経』と同じものだとしている。他にも、『摩迦比丘経』などとも呼ばれている。実は、この『迦葉禁戒経』については、学ぶ機会を得たいと思って、既に記事の準備をしているのだが、先に『真偽沙門経』を出してしまった感じである。
なお、「真偽沙門」という名称の由来だが、上記一節についても既に、その意味を推定できるところではあるが、他には以下のような一節などが参照できるだろうか。
仏、迦葉に語りて、「道を求めんと欲するは、是れ真沙門に当たれり。沙門の名を承けて、諂諛沙門に倣うこと莫れ。譬えば、貧人の称して大富と名づくが如し、但だ有富の名のみ有りて、内に所有無し」。
『迦葉禁戒経』
ここで、沙門の真偽について、論じていることが明らかである。要するに、仏道を求める沙門は真実の沙門であり、世間に阿諛追従するような沙門は、名ばかりだとしているのである。
ところで、本書の意義について、鳳潭法師が更に文章を続けていたので、見ておきたい。
又云く、真偽沙門等の一十五部、長房等の録に、並びに云く、恵簡の出だす所、今以れば、是れ別生等の今日の故、之を刪りては、存せずなり。
又云く、迦葉禁戒経一巻、一名は摩迦比丘経、亦、真偽沙門経と名づくと、第二に文を出だす。
『梵網経菩薩戒本疏紀要』巻2
要するに、訳経目録などから、本書の書誌学的問題を検討しているわけだが、江戸時代の学僧達にとってみれば、自然なことだったわけで、学問的な基礎がどの辺にあったのか知ることが出来る。
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