拙僧自身も、研究者の端くれで、大乗仏教が後代の成立であることには何ら疑いを持っていない。だが、拙僧にとって、大乗仏教こそがブッダの真説である。この辺の「アイロニカルな没入」については、中々理解はされないが、拙僧自身が良ければそれで良いのである。
さて、そういう中で『梵網経』に於ける「非随犯随制的性格」について考えてみたい。そもそも、「随犯随制」とは、仏教の戒律の性格を示したもので、ゴータマ=ブッダが教団内で問題が起きる度に、新たな戒律を制定していったことを指す。「犯すに随って、制を随う」のである。
それで、『梵網経』はそういう話になっていない。以下の一節が見える。
爾時、釈迦牟尼仏、初めて菩提樹下に坐して無上覚を成じ、初に菩薩の波羅提木叉を結したもう。
『梵網経』巻下、『大正蔵』巻24・1004a
ここで、『梵網経』というのは、『華厳経』と同じように、釈尊成道後、菩提樹下に於いて観取された経典との位置付けがされ、実際に、『梵網経』には盧舎那仏が出てくる。よって、この時にはまだ釈尊の弟子はいないし、結果として、「非随犯随制」という状況が理解されるわけである。その点、以下のような指摘もある。
前の中に是れ本戒にして、是れ犯を待って然る後に方めて制するに非ざる故に、成仏して最初に即ちこの戒を結す。声聞戒と同じからず。故に「初に菩薩の波羅提木叉を結したもう」という也。
法蔵『菩薩戒本疏』巻1、『大正蔵』巻40・607a
中国華厳宗の法蔵(643~712)による指摘である。法蔵は、菩薩戒について本戒という位置付けをされ、随犯随制である声聞戒との明らかに相違を指摘している。それで、拙僧自身、この辺くらいまでは、かつて拙ブログで書いたこともあるので、疑問点も懐いていなかったのだが、以下の一節を見出して、思うところがあった。
世尊成道より五年、比丘僧、悉く清浄なり、是れ自り已後、漸漸に非を為し、世尊、事に随って制戒を為す。波羅提木叉を立説するに、四種具足法あり、自具足・善来具足・十衆具足・五衆具足なり。
『摩訶僧祇律』巻23「明雑誦跋渠法之一」、『大正蔵』巻22・412b
この波羅提木叉(戒)の四種具足法については、また何らかの機会に採り上げようと思っているのだが、ここでは、「自具足」に注目してみたい。
自具足とは、世尊、菩提樹下に在りて、最後心を廓然大悟し、妙証を自覚して善く具足す。線経中に広説するが如し。是れを自具足と名づく。
同上
このように、『摩訶僧祇律』では、釈尊自身は大悟したことにより、波羅提木叉も具足した、という立場なのである。更に、それは経典に説かれるようなものだともされているが、これが後の『梵網経』に影響した可能性は無いのだろうか。確かに『摩訶僧祇律』は法顕(337~422)によって訳出され、『梵網経』の成立時期よりも前となっている。
要するに、中国所伝の『律』の中に、釈尊制定の波羅提木叉の中で、非随犯随制的性格だった部分が認識され、それが大乗仏教に於ける釈尊伝改変・拡充の中で、菩薩戒制定として展開した可能性を指摘したいわけである。まぁ、何となくの推論ではあるが、拙僧自身、自らの信念に基づいて、使いたい経典は可能性の中心に置いて読んでみたいと思っているので、開陳した次第である。
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